吉川さんというたぶん優しい男性に巡り合い、奈良に移り住み、小さな居酒屋を切り盛りし子どもを育て上げた。
私は、心の中の整理ができなかった。私の姉とそっくりな娘が奈良にいて、私の孫もいる。ゆきこが一番苦しい時に私は全く何もしてやれなかった。悩んだが、どうしてもまあちゃんや弘子ちゃんに会いたくなり、それから一ヶ月ほどして、おゆきに行ってみた。
夕方で暖簾をくぐるとまあちゃんが、お店を開く準備をしていた。自分が父親だと言おうとしたが、何も言えずただ黙っている私にまあちゃんが突然言った。
「お父さん、悩まなくていいんですよ。私にはあなたがお父さんだとわかってましたから。母は幸せでしたし、私もお父さんを恨んだりはしてませんから。母はお父さんの子どもを産んで育てられて幸せだったし、私は母に優しく育ててもらいました。」
私は本当にびっくりして、言葉が更に出なくなった。
「母が亡くなって遺品を整理していたら、写真が二枚出てきました。一枚は桜島をバックに二人で写っていて、もう一枚は二人で早慶戦に行ってスタンドで応援している様子でした。写真の裏に、雅弘さんと一緒にと、と母の字で書いてありました。」
まあちゃんは二階へ上がり、その二枚の写真を持ってきた。
「大事に和紙で包んでありました。お父さんが最初にお店に来た時、すぐわかりました。母は最後かなり年をとっていたのに、お父さんは若いままなので、少し驚いて顔を見ていたんです。」
それで最初に会った時、まあちゃんはしばらく私を見ていたのか。
「母が昔、お父さんのことを一度だけ話してくれたことがあります。私の雅と娘の弘はお父さんの字をもらったって。そして大きな赤い提灯におゆきと書いて、ホッピーののぼり旗を立てていれば、いつかお父さんが奈良に来れば気がついてくれると。私は本当にお父さんが好きだったけど、これからがある人に迷惑はかけられないと思って別れたのよと言ってました。」
私の全く知らない世界で、私の娘を育てながら、ゆきこが一人でホッピーを飲んでいる姿を思うと無性に愛しくなった。ただ、もうゆきこは亡くなってしまっている。私は、娘であるまあちゃんが出してくれたホッピーを、牛すじの煮込みを食べながら一人で飲むしかなかった。