「簡単でしょ。簡単で、つまんないでしょ」
みゃーこさんはあくびをしながらそう言った。けれど私は楽しかった。にこにこしながらやってくるお客さんは可愛い。お互いを杖のように支えあいながらゆっくり歩いてくる老夫婦、きゃいきゃい騒ぎながらチケットを買ってゆくおばちゃんたち、なりゆきで船を見つけて、乗ってみようかと微笑みあうカップル。観光地の船に乗る人たちはみんな、心に余裕があってあたたかい感じがする。
前に勤めていた会社はみんな、早く終わらないかな、という顔をしていた。早く今日が終わらないかな。そんな日々のなかでもきっと、仕事に本当にやりがいを見つけられたらよかったのかもしれないが、私はダメだった。そうして、休憩時間まで誰かに気を遣ったりするのが嫌で、一人で外食をしていたりしたら、いつの間にか話の輪に入れなくなっていたのだ。
私はあの狭くて薄暗いオフィスの、冷たいパソコンと自分に向けられるどこか尖った視線を毎日やり過ごして、傷ついたことを言われても平気なふりをしている時間が本当に辛くて、冷蔵庫の中にでも閉じ込められてしまったかのように思えた。
「わんちゃんはさ、都会からきたんだよね」
ある日、船が出航するのを見送っているとき、冷たい潮風に吹かれながら、みゃーこさんがそう言った。
「はい、そうです。東京で働いていました」
「うわー、シティガールかあ。わんちゃん、持ってる服とか化粧品とかさ、確かにちょっと違うもんね、この街の人たちと」
「え、そうですか?」
「うん、違うよ。だってわんちゃん、お化粧品ってお化粧品屋さんで買ったでしょう」
「はい、まあ」
お化粧品屋さん、という言葉が可愛く思えたが、黙っておいた。
「私なんて薬局だもんね。しかも、若い人向けのやつが全然売ってないから、おばあちゃんの家にあるようなやつ使ってる」
「確かに、みゃーこさんのその口紅の色、ちょっとおばあちゃんみたいですもんね」
「えっうそ!これ、変?」
みゃーこさんが慌ててそう言うので、私は笑った。みゃーこさんは明るくて、けれどうるさいわけじゃなくて、話すと心地よく穏やかな気持ちになれるので、色んな人に好かれていた。みんなみゃーこさんのことが好きだった。猫のような、海のような、そんな不思議な雰囲気が彼女にはあった。
ある日私たちが帰ろうとした時、船乗りのお兄さんが二人、近づいてきた。お兄さん、といっても、私より十も年上だが。
「みゃーこちゃん、わんちゃん、今帰り?俺らと飲みに行こうよ。奢るからさ」
親元を離れて遠くの街で一人暮らしをしている私にとって、奢るから、というその一言がすごく魅力的に思えた。いいですよー、と了承しようとした時、みゃーこさんが私の服をぐいっと引っ張った。え、と思って振り向くと、みゃーこさんは一瞬泣きそうな顔をしたかと思うと、すぐにけろっとして「ごめんなさい」と言った。
「今日私とわんちゃん、二人でお出かけなんです。ね!」