みゃーこさん、というのがそのぼんやりした先輩のあだ名で、みゃーさんとか、みゃーちゃん、とか、色んな風にアレンジして呼ばれていた。日の光に照らされてきらきら光る長い栗色の髪は、頭のてっぺんのほうだけ少し黒くなっている。
「あなた、よくこんななんもないところに来たねえ」
みゃーこさんは呆れたようにそう言って、まあ、私もだけど、と笑った。みゃーこさんは花が咲いたように笑う。ぱっと目立つ大輪の花じゃなくて、たんぽぽとか、ひなげしとか、そういうささやかな、けれど可愛らしい花。
小さな港町の、遊覧船のチケット売場。遠くに行くのはたいへんだが、少し足をのばして綺麗な景色を見たいお年寄りが、夫婦そろって来るような、そんな小さな観光地。若い人はめったに来ない。たまに面白がって覗きに来たりするが、海や船の写真を撮ったら満足して帰っていく。
みゃーこさんはそんな小さな観光地の、やはり小さな受付で、猫のようにじっと座って地平線の先を見ていた。私ははじめて彼女の姿を見た時、そのなんだかぼんやりと眠たそうな横顔に、力が抜けてしまった。
私は東京の会社で一年務めて、辞めてこの田舎町にやってきた。職場の人間関係でうまくいかず、最後のほうは朝電車に乗ろうとすると胸のあたりから何かがせり上がってきて、気分が悪くなって立てなくなるくらいになっていた。
田舎は人が少なくて、人間関係が密だから、都会より大変だよ。そう心配そうな顔をした母の言葉を思い出す。死んでしまいそうなくらい緊張しながら出勤した初日、みゃーこさんは私が今まで接してきた、どの“職場の先輩”にも似ていなかった。
「お客さんなんて全然こないのに、二人もいらないよねえ」
「え……す、すみません」
「いや、謝らなくていいよ。一人だと暇だったし、あなたがきて嬉しいよ」
みゃーこさんはそう言って、狭い受付の、やはり狭いスペースに、無理やり私の椅子を置いてくれた。受付は小さな小屋のようになっていて、私は東京でよく見かけた宝くじ売り場を思い出した。「隣の受付をご利用ください」と書かれた簡素な板を取り外すと、みゃーこさんは「こいつを外す時がくるなんてねー」とのんびり言った。
「あなた、名前は?」
「乾です。今日からお世話になります」
「いぬいさんっていうの?すごい!じゃあ、わんちゃんって呼んでもいい?」
「え……」
「私、みや子。みゃーこさんとか、みゃーちゃんとか呼ばれているの。ふふ、私たち、犬と猫だね」
よろしく、と差し出された小さな手をそっと握る。あたたかくて、柔らかい。爪にはきらきらとラメの入った薄いピンクのマニキュアが塗ってある。みゃーこさんは私よりずいぶん背が低い。だからかどうかはわからないが、圧のようなものをまったく感じなくて、私はなんだか安心してしまって、泣きたいような、胸の奥がむずがゆいような、そんな不思議な気分になった。
私たちの仕事はとても簡単で、船に乗りたいというお客さんがきたらお金をもらってチケットを渡す。たまに宿泊したホテルから割引券をもらってやってくるお客さんもいるので、そういう人には値引きをして、受け取った割引券に切り込みをいれる。それだけ。