「とりあえず生でいいや。喜恵は?」
「うーん、ホッピーにする」
「ホッピー?」
「うん、ホッピー」
「何それ?」
「えっ!拓郎、ホッピー知らないの!?」
声量の大きさ、いつもより高くなる声、その中に喜びを潜ませていること(もちろん、バレバレ)、喜恵は俺が知らないことを発見するといつもこういう態度をとってくる。俺にはそれが堪らなく嫌だった。
「どんな飲み物だと思う?」
「……無駄に可愛い名前からして、カクテルか何かだろ」
「違うよ、本当に知らないんだ、そうかあ、ホッピーも知らないとはねえ」
ムッとしてしまうぐらいの喜恵の勝ち誇ったやり取りの後、程なくしてそのホッピーとやらが運ばれてきた。印象としては、図太い、というか、ずんぐりむっくりとした瓶の中央に桜のマークと可愛らしく英語とカタカナでホッピーと書いてあるデザインから推察して、カクテル味の……いや、ビールか?いやいや、というか、ジョッキの中身の液体は何なんだ?
「これがホッピー!」
「なるほど、で、どういう飲み物?」
俺は、冷静を装って訊いた。
「ふふ、ちゃんと説明してあげるから急かさないの」
くっ、読まれていたか。と思ったが、顔には出さない。
「ホッピー自体はこの瓶のことでね、“ソト”っていうの。でね、ジョッキの中身、焼酎なんだけど、“ナカ”っていうの。これにソトを入れて飲むだけ。ね、簡単でしょ?」
普段、何も知らない喜恵に、「簡単でしょ?」と同意を求められるのは少し癪に思ってしまうが、とりあえず、そうだなと言っておく。
「ホッピーはビールに比べて安いし、太りにくいし—」
「もういいよ、焼酎に入れて飲む発泡酒みたいなもんってことだろ、もう十分」
「え、違う違う。ホッピーはね――」
「しつこいって!たまに自分だけ知ってることがあったからって偉そうにすんなよ。別にホッピー?に興味ないし」
喧騒の中、二人だけが認識することができる一瞬の沈黙が流れる。
「失礼しまーす、鳥もものたれと鳥かわのしお、せせりのたれです!」
沈黙を破った店員の声に合わせて、「ごめん、ちょっと調子に乗っちゃった」と喜恵がいつもの笑顔で答える。俺は不愛想な顔つきとは別に、心の中でだけ、「いや、こっちも言い過ぎた、ごめん」と謝った。
その後も、いつもみたいな笑顔で、いつもみたいなズレた会話をして、いつもみたいな優しい対応をしてくれた喜恵が、帰り道に、いつもとは違う別れ話をきりだした。
…
…
…
「そして今、俺は、同じ店、同じ席でお前にホッピーの講釈を垂れようとしている!」