あの日は私の好きな俳優が出演している映画の公開日だったので、彼と観に行く約束をしていた。他に何かある訳でもない、本当に普通の日。
お昼頃に待ち合わせをして、ご飯を食べてから映画を観た。映画はとても素晴らしかった。
あの手に汗握るアクションはやはりあの俳優さんにしか出来ないと改めて思ったし、何より体の動きが美しい。しかもそれをスタントマンなしで自ら行っているのが凄すぎる!常に第一線を走り続けていて、なのにそれを驕ることもない。ファンサービスも時間をかけすぎて数時間経ってしまったということもざらだし、それにね…!と私が喋り続け、いつものように彼はへー、ほー、あー、と相槌を打つ。
これだけ聞くと馬鹿みたいだし、友人に彼とはこんな感じと話すとそれってちゃんと話聞いているの?と100%言われるが、私と彼にはこれがちょうどいい。彼が好きなことを話し私が聞くときは逆になるし、お互いの好きが同じくらいのときは半々くらいで喋ったり聞いたりする。もちろんくだらない話もするし、何も喋らないときだってある。そしてそういうのが自然と出来るのが彼のそばで、きっと彼もそうなのだろう。
その後は何を買うわけでもなくぶらぶらとお店を見て回り、お蕎麦が美味しいと評判のお店で夜ご飯を食べた。鴨せいろがとても美味しくて、これはいいお店を見つけたと嬉しくなった。彼は天ざるを食べていて、天ぷらとお蕎麦を少し貰ったがこちらも美味しく、幸せな気持ちになった。
ご飯を食べ終わり、じゃあそろそろ帰ろうかとお店を出て駅に向かっている道中、彼はやけにそわそわしていた。私はお手洗いか、あるいは何か忘れ物でもしたのかと彼に尋ねたが、いや、と言うだけでこちらを見ようともしなかった。もしかしたら何か気に障ることでも言ったのかと思い、何かあったのかと尋ねても彼はうーんと言うだけで、足取りもどことなく重くなり、ついには歩道の真ん中で立ち止まってしまった。
これは完全に具合が悪いのだと思い、なのに色々連れまわしてしまったことを後悔しつつ、今日はタクシーで帰りな!と挙げた手を、彼は慌てて下ろすとその勢いで結婚しよう!と言った。
きっとその時、私はとんでもない顔をしていたに違いない。鳩が豆鉄砲を食ったようとはよく言ったものだ。
彼はいつも身に着けているボディバックから黒い小さな箱を取り出すと、そこから指輪を取り出し私の薬指にはめようとして、ハッと気づいたように動きを止めた。そう、私はまだ返事も何もしていない。
彼は少し恥ずかしそうにしつつ、今度はちゃんと私の顔を見て、僕と結婚してください、と言ってくれた。
「もう本当にびっくりしたよ!タクシーを止めながらプロポーズされたのなんて、世界で多分私だけだと思う!」
「わかった!もうわかったからその話はやめよう!」
私の実家に挨拶に来た彼は、母からのプロポーズはどんな風だったの?という問いに、恥ずかしそうに俯いた。
父は出掛けており、もう少ししたら帰ってくるらしい。もしかしたら彼に会いたくないのかと不安になったが、母がこっそりと外出の理由を教えてくれた。
お父さん、ホッピーを買いに行ったのよ、と。
父が帰って来たら、今度は私があの言葉を言おう。
ホッピーでハッピー、と。