平田君についても、あれっ、と思った言動はその場では絶対に言わないようしていた。
その代わりに落ち着いているときに「事例」だとか「ケーススタディ」とかいう彼の好きそうな言葉を使って説明しておくと、時折表情に変化が出るのがわかるので言いたいことは理解してもらえているようだ。
商談がスムーズに済んで予定よりも早く事務所に戻ると、鳴り響く電話をアシスタントの中山さんと隣の担当のアシスタントさんが必死にさばいているところだった。
慌てて自分も鳴っている電話をとったが、課員のスケジューラを確認すると、大半は在籍している表示。
「みんなどこに行っちゃったの?」
「喫煙所だと思います。最近夕方はいつもこんな感じで。」と中山さんが軽くため息をつく。
課長はタバコを吸う
諸報告にデスク近くに行くと肩のラインがピシッと整った美しいブランドものらしいジャケットのその縫い目からファブっても消えないニコチンの気配が立ち上るので相当のヘビースモーカーのようだ。
前任課長時代は二人だけだった喫煙者がいつのまにか6人に増えていた。
驚いたのは3年後輩の信濃さんが吸い始めていたこと。
私が知る限り入社してから彼女がタバコを吸っているのを見た記憶がない。
「ずっと禁煙していたんですけどね・・・。 」と、気まずそうに言い訳をする彼女の表情が曇っていたのには気になっていた。
タバコを吸わないのはおそらく私とアシスタントで派遣の中山さんだけ。
今、外出していない面子はおそらく喫煙室で談笑中なのだろう。
もやもやしながらも中山さんの手元にたまったままの電話メモを急ぎの要件はないかと見せてもらっていると平野君宛てのメモが3枚もあった。
すべてココノエデリカ社からで「至急連絡が欲しい」という内容が20分おきに来ていた。
「これって?」
「平田さんにはもう2回直接喫煙室まで行って伝えています。でも帰ってこなくって・・・。」
「・・・課長もそこに?」
「はい。」
「課長公認じゃ、帰ってこないわよね・・・。」
これは嫌な予感しかしない。
ココノエデリカは3月末まで自分が担当していたが、担当者は温厚で沈着な方だ。それが20分おきに電話をするということはトラブルとしか思えない。
平野君には自分が担当していた中から取引高も高く比較的扱いやすい商材の取引が中心のお客様を引き継がせるように指示されていた。その中でもココノエデリカは渡しのが惜しいくらい特上の優良顧客。
やるべきことをこなしていればトラブルは起きないはず。一体彼は何をしたというのだろうか。
すでに時間は17時半を回っているということは食品加工メーカーのココノエデリカの終業時間を既に過ぎているということになる。