さらに、彼女たちは、穴の底に沈殿していた泥をかき出して、その中からもう一本のボトルを見つけた。そのラベルには「コアップガラナ」とある。
映像の終わりに、男が女性に、「Is it strange or roman?」と聞く。
すると彼女は一本のボトルを手に取って「Um…」と少し考えた後、「It is hoppy」と答える。
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その映像は、アメリカの(バラエティー)番組の中で取り扱われた。限られた州で放送され、ごく僅かな人が視聴した。それでも、その放送後、私の身の回りでは大きな変化があった。
例えば、日本の雑誌社やテレビ局の取材が入った。彼らは私を見つけてインタビューをし、テレビ局は、短い、私たちのドキュメンタリーを制作した。
それから、日本では「ホッピー」のCM(「Is it strange or roman?」「Um, It is hoppy」というセリフ)が流れて、ホッピーが爆発的に売れていた。
それから、これらの一連の出来事のきっかけとなった、月島の、出版に至った「放浪記のような書き物」は、それなりに売れていた。
それから、どこかで私たちのことを知ったサウジアラビアのある富豪があのダイヤモンド採掘場を手に入れ、ダイヤモンドの採掘と掘削の事業を再稼働させていた。その際、その富豪から私に声がかかり、私はその彼の誘いに二つ返事で答えて、南アフリカに飛んだ。だから私はそこに戻ることが出来、今度は、彼の下で働いている。
そして、月島と再会を果たした。彼は今も世界を放浪する旅を続けているが。
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エピローグ
旅の道すがら、時折、不可思議な光景、事象に出くわして足を止める。そういうとき、私は迷わず自らそこへ歩み寄っていく。もしかすると、その「奇妙」の中には想像を遥かに超える「ロマン」が秘められているかもしれない、と期待を寄せながら。
しかし期待外れも多い。私がその当事者を見つけられずその想いや理由を聞けずに終わってしまうこともある。または当事者が熱心に話してくれても、やはり、それが奇妙にしか映らないこともある。
そこで、一つ想像してほしい。「例えば、世界のどこかに地下11,110メートルの穴がある。その穴の底からビール瓶のような物が出てくる。偶然的に発見したあなたは、その一本の瓶を見ながら何を思うだろうか」
想像を求めるには情報不足かもしれない。私がこの世界を放浪する旅の道中でしていることは、そういった事象に秘められている人の想いや理由、経緯を求めることだ。
もう長い間、私は世界を放浪する旅を続けている。
その旅の始まりの場所は、座標で、南緯42度12分18秒、東経37度05分44秒。始まった時期は……あの瓶に「消費期限」が記されている。それを見つけてくれたら、それで分かるだろう。ちょうどその時期だ。……つまり、前で書いた、地下11,110メートルの穴は存在する。それは、私がたった二人の仲間と二年かけて掘った穴だ。
そうだが、穴を掘ったこと、それ自体は、私のロマンではない。もう一人の仲間、彼のロマンだ。それから、その穴の底に一本の瓶を置いたのも私だが、それも私のロマンではない。私のロマンは、それらの出来事をこうして今書いていることだ。
これは、世界を放浪する私の旅の記録。そして、その旅で出会った人たちのロマンの話だ。