浴びる程に酒好きだった父。母は度重なる転勤に一度も単身赴任をさせなかった。父が酒を飲みすぎてしまう事を心配したからだと幼いながらに記憶していた俺は、酔っぱらって帰ってくる父の事が嫌いだった。
母は行く先々でパート仕事をして家系を助けて来た。食べ盛りの俺達にいつもたらふくご飯を食べさせてくれたのは母だ。
父は自分の稼いだお金の殆どをお酒につぎ込んだと言っても過言ではなかったと思う。酔っていない父を思い出す方が難しいくらいだったから。
いつもガキ扱いされて父とはまともに話した事もなかった。だから、俺は二十歳そこそこで父を亡くしてもそれ程悲しむ事も、後悔することもなかった。
「同級生とか?」
封筒の裏には(村瀬権蔵(ごんぞう)・スエ子)と書かれている。
「違うのよ、でもいいお仲間だった。まぁ読んでみて」
母に促され便箋を広げると、そこにはびっしりとパソコンで打たれた文字が連ねてあった。
拝啓、この手紙がお手元に届く頃、何人の方々が天に召され、何人の方々がこの世の移り変わりを目にしているのでしょうか。私共にも皆目想像が出来ません。おかしな文面だとお思いでしょうが、是非とも続きを読み進めて頂きたくお願いいたします。
時は、私達が産まれ育った昭和の時代が終わり平成を迎えました。
手紙が届く10年後はまだ平成が続いているのでしょうか。
そうです、私共は本日夫婦揃って77歳の喜寿を迎える事が出来ました。
その記念に、孫娘の手を借りてこのタイムカプセル郵便を送る事にしました。年甲斐もなくタイムカプセルなどという言葉に少々心が躍っております。世の中の移り変わりが激しく小型の電話機がカバンに入る程の現実に近頃めっきりとついて行けなくなっておりますが、躍るような気持をいつまでも忘れないでいたいものだと鼓舞しております。
さて、10年後の皆さまはいかがお過ごしですか?日本が高度成長期にある中で、働き盛りを迎えた私達は本当に大変な時代を生き抜いたと言えるでしょう。時にケンカをし、励まし合って乗り越えた時代を思い返すとその実、楽しく充実していた事ばかりが浮かびます。そしてその記憶の中にはいつもあのホッピー通りがあったのです。男ばかりでなく皆で女房を誘い合って集まったあの夕暮れの事は、殊更鮮明に覚えております。
この世の人生、後どの位の時間が残されているのかは皆それぞれでしょう。お互いに思い残す事のないようご自愛しながら、どうか己を鼓舞して頂きたく願います。
長々と前置きしましたが、ここからがやっと本題になります。