「修(しゅう)吾(ご)、母さんを浅草に連れて行ってくれない?」
目の前でゆっくりと蕎麦を啜った母は、またゆっくりと咀嚼して飲み込んでから言った。
「浅草?」
「そぅ、浅草」
月に一度、90歳の母を訪ね二人で食事に出かける。東京から兄貴夫婦と母が暮らす浜松まで新幹線に乗って。交通費も掛かるが未だ独身の俺に出来る最大限の親孝行だと思って始めた。つい最近になってだが。
母は45歳で俺を産んだ。今でこそ医療の発展で高齢出産のリスクも少なくなったが、俺が生まれた昭和の中盤、高齢出産は命がけだったと聞く。
その時点でもうすでに四人の兄貴達を産んでいたのだから五人目の俺など命を懸けて産む必要があったのだろうかとも思う。
しかし、俺は産まれて来た。そして母のやっと半分の年齢になった。転勤の多かった父に代わって懸命に俺達兄弟を育ててくれた母に、ここいらで親孝行をしておかないと俺は一生悔やむ事になるかもしれない、とも思っていた。
「何で浅草なんだよ?新幹線に乗らないと行けないぞ」
90歳という年齢の割に母は足腰が元気だ。元気とは言っても俺達と同じ速度で歩ける訳ではない。都内で移動するとなると、やはり地下鉄を乗り継ぐ事になるだろう。長時間の移動で体調を崩してしまったらそれこそ命取りになるのではないかと、大げさに考えなくても推測できる年齢だ。
俺は、ためらう気持ちを拭えなかった。
「浅草のね、ホッピー通りってとこに行きたいの。昔、お父さんと何回か行ったの」
「ホッピー?母さんお酒飲めないだろ?」
「そうねぇ、強くはないけど飲めない訳でもないのよ」
母が酒を口にしている姿など俺は一度も目にしたことがなく、そんな母の口から(ホッピー)などという言葉が出て来た事に驚いた。しかも(飲めない訳ではない)などと言う。
「か、母さんがホッピー飲むなんて知らなかったよ!」
「そうかい。ふふふっ」
小さく笑った母は、蕎麦を摘む箸を置いてカバンの中から一通の封筒を取り出した。
「こんなのが来たんだよ」
差し出された封筒の表書きには(戸枝文吾・あい様)と記されていた。
20年前に亡くなった父の名前を久しぶりに目にした俺は、まだ大学生だったあの頃と同じように憮然とした気持ちが沸いてくるのを感じた。