じゃあ、と手を上げて貴は商店街の中へと早足で向かっていった。弥生は、貴の背中が見えなくなるまで手を振りつづけた。
八幡宮のお祭りがやってくると、みなもと商店街はいつも以上に活気づく。もともとにぎやかな商店街だ。「商店街グルメツアー」などと称したテレビ番組でもよく特集されている。お肉屋さんのメンチカツや、昔から続くかまぼこ屋さん、石釜で焼くパン屋などは特に有名だ。商店街はアーケードになっているため、雨が降っても買い物しやすい。しかし、最近ではシャッターが閉まっている店舗もちらほら出てきている。少しずつだけれど、寂しい色合いが漂いはじめたのも事実だった。
それでも昔から続く八幡宮のお祭りとなると、各店舗趣向をこらした出店や特別なメニューを提供していた。布団屋や本屋といった食べ物を扱わない店も、サマーチャンスセールと称して、小さな子ども向けにくじ引きをしてもらうなど工夫をこらす。八幡宮までの道もお客様に楽しんでもらいたいと、商店街に店を構えるみんなが一丸となっていた。
小料理屋「いなだ」も負けていられない。「サマージンジャーホッピー」と名付けた夏祭り限定のドリンクを商店街のポスターに掲載してもらっていた。
ホッピーカクテルの完成は、思いのほか手間取った。試作品だから飲んでみて、と弥生も何度か味見をした。ホッピーと割るとショウガの味が分からなくなったり、またその逆でショウガドリンクになってしまって、ホッピーの苦みが消えてしまったり。美味しいことは美味しいのだけれど「これだ!」という味には、なかなかたどり着けなかった。
「ごめんなさい。おじいちゃんとおばあちゃんが飲んでる姿は、はっきり覚えてますけど……。子どもだったから、味までは知らなくて」
冷やしあめのアイデアを言い出した弥生は、すこし責任を感じていた。幼いころの思い出の品は「お酒だから飲んじゃダメ」と言われていた。祖父母があまりにもおいしそうに飲んでいたから、こっそり飲んでみようとしたことはあった。けれど、果たして飲めたのかどうかも覚えていないし、味の記憶もなかった。
「何言ってんの。弥生ちゃんのアイデアがなかったら、私は今年の夏、泣いて過ごすところだったのよ」
「いなだ」の奥さんはニコニコしながら「弥生ちゃんありがとう」としきりにお礼をいった。椅子に座って投げ出している左足にはまだ包帯がぐるぐる巻きにされていて痛々しい。
「ホッピーの味は昔から変わらないんだから。それにばっちりとマッチした味を作れば良いんでしょ? 私の腕の見せ所よ!」そう言いながら、力こぶをつくってみせる奥さんの姿に、弥生は何度もなぐさめられた。
「完成したみたいだから、飲んでみて」貴がシロップの入った小瓶を見せて弥生にそう言ったのは、お祭りの一週間前のことだった。店を閉めた後に、試してみることになった。