頭の奥の方にしまい込んでいた幼いころの記憶を、弥生は少しずつ引っぱりだした。店長は、優しく頷きながら聞いてくれている。
「夏になると、おじいちゃんがいつも飲んでたものがあるんです。冷やしあめっていうんですけど……。店長知ってます?」
弥生は記憶をさぐりながら、祖父が飲んでいた飲み物のことを思い出す。そうだそうだ。冷やしあめだ。確か、他の飲み物で割って飲んでたんだっけ……。弥生の頭の中で、祖父母と交わしたいくつかのやりとりがぼんやりと浮かびあがっていた。
「ふーん。冷やしあめ、ねえ。関西地方で夏に飲むって聞いたことあるなあ。どんなもんか、飲んだことはねえが。あめって言うくらいだから、甘そうだな」
店長は興味があるらしく、ぐいっと身を乗り出して、弥生からさらに詳しく聞き出そうとする。
「あ、はい。甘いことは甘いですけど、ショウガ風味です。後味がぴりっとしてて、ちょっと複雑な味でおいしかったなあ。おじいちゃん、若い頃にちょっとだけ大阪に住んでいたらしくって。夏に冷やしあめを飲むのが習慣になっていたみたいです。大阪の知り合いから送ってもらっていたらしくて。そうそう晩酌のときはホッピーで割って飲んで。美味しそうだったなあ」
「へえ。そりゃあうまそうだ。ショウガってことは、ジンジャーエールみたいなもんか。ビールをジンジャーエール割ったシャンディガフっていうカクテルもあるからな。おじいさん、しゃれた飲み方してたんだねえ」
店長に祖父のことを褒められて、弥生はちょっと嬉しくなった。
「私が産まれるちょっと前に、おじいちゃん病気しちゃったらしくて。ほとんどお酒飲めなかったんです。でも、ホッピーはちょっと飲めるって。夏祭りは特別におばあちゃんも飲むって言ったりして。一本のホッピーを半分ずつグラスに入れて、冷やしあめで割って。ふたりで乾杯してました」おじいちゃんの膝に座っていた弥生が舌をのばしてちょろっと舐めようとしたら「弥生ちゃんには、まだ早いよ」って笑われたっけ。「懐かしいなあ」と弥生の頭によみがえっていた光景は、もう繰り返されることはない。祖父と祖母は、数年前に亡くなっていた。弥生は思い出に心を奪われてぼんやりとしていた。けれど、店長が身を乗り出し、バシンとカウンターに手をついた音でハッと気持ちが戻ってきた。
「よしっ! 決めた! 弥生ちゃんの思い出の品でいこうじゃないか! よし、チラシに載せる品も特製カクテルにしよう」店長は、よーしと言いながら、腕まくりまでしている。どうやら本気のようだ。
「え、で、でもほんとに大丈夫ですか? 奥さんや貴くんにも相談しなきゃ……」
奥さんも貴君もいないのに、弥生の発言で勝手に決めちゃっていいのか心配になった。売上にも影響するだろうし、ましてやチラシに載せるだなんて……。
「なあに、大丈夫だ。うちのヤツが漬けた自家製の梅シロップを夏祭りにだそうかなんて話もしてたんだ。ほら、弥生ちゃんがバイトにきたばっかりのころ、梅のへたとるの、手伝ってもらっただろ? あの梅シロップをソーダ割りにしてな。でもそれじゃあ、特別でもねぇし、つまんねえかって悩んでてな。ホッピーの冷やしあめ割り。いいアイデアじゃねえか。冷やしあめっていっても分かんねえかもな? ショウガシロップも自家製にしてみるか」