そんな前日の通夜での再会から一夜明けた葬儀の終盤、
「肩肘張らなくて構わないよ」
準備された精進料理と遺影の中の故人が、そんなふうに囁きながら、着席を促しているように感じられた。
計6人分準備されたテーブルへと、喪主の清美、常男、美子と彼女の一人娘、そして雄一の5人が、各々少しだけ周囲を伺ってから、それぞれゆっくりと歩を進め始めた。
6
前夜帰宅から布団に入った雄一は、おそらく誰一人望んでいなかったであろう、疎遠どころか音信不通同然だった何十年間を振り返り、自問自答を続けていた。
忘れられないマッチ箱事件から数ヵ月後、新築の一軒家を購入した山口家が、電車で片道1時間も要する他県へ引っ越してしまった、あの当時の記憶が、どうしても鮮明に呼び戻せなかった。
「私達が引っ越すって聞いて、雄ちゃんワンワン泣いてくれて、翌日自分も連れて行けって駄々こねて、由紀子を困らせたんだよ」
通夜ぶるまいに相当するらしい歓談タイム、ふと思い出したように清美おばさんからそう聞かされるも、照れてとぼけたわけでもなく、本当に思い出せず、
「それはご迷惑をお掛けしました・・・おっと、迷惑をかけたのは僕の母だったんですね。じゃあ問題ないや」
一応空気を読みながら、許容範疇内でおどけたつもりも、何となくこの時点では波長が噛み合わずスベってしまい、それこそ迷惑な発言になってしまったかと、今頃になって反省しきり。
そんな頃からだろうか、とりわけ父親が時と場所を選ばず、突然思い出したかの如く、得意の差別侮蔑用語の独り言で、一方的に山口家のことを吐き捨てる場面が目立ち始めたのは。
母からすれば、自分の姉の家族をあんなふうに言われたなら、いくらなんでも辛く悲しいだろうと、子どもなりに心を痛めていた、小学校低学年から中学年当時。
ところが時が流れるに連れ、母の口からも同様の吐露が聴こえ始めてしまい、少しずつながらも世の中が年齢相応の目線で見え始めた雄一は、ただただ混乱するばかり。
やがて中学生になる頃には、友達と過ごす時間が最優先の毎日の中、山口家という大好きな親戚の存在そのものが意識の中から薄れて行ったのは、あくまで自然な流れだったのだろう。
やがて両親、とりわけ父親との軋轢は如何ともし難い距離感の中、若くして家を出た雄一。
そこからは家族以外の仲間達に支えられ、何とか生きて来られた己が人生も、いつしか天命を知る齢五十を数えていた。
結局親は子を選べぬ現実の中、最終的には雄一が歩み寄ってのノーサイドで父親を鬼籍に送り届け、我が子も実社会にリリース。
そんなタイミングで予期せず届いたのが、山口信男という懐かしい一人の男性が、長年要介護状態から、最期の時を迎えるカウントダウン中との知らせだった。