「いらないの?」
わたしは頷いた。すいかが嫌いなわけじゃなかった。ただそのときは食べてはいけないと思った。祖母が早く食べ終われと心の中で繰り返した。不安で何度もふり向いた。祖母は何度もすいかをたべないのかとわたしに聞いた。わたしは何度も首を振った。
叔母が父に連絡をしていたのだろう。叔母の家から帰る途中に父が慌てた様子で走ってきた。そして黙って出ていったら困るとわたし達を叱った。祖母はわたしに菓子を買いに行こうとしただけと父がなぜ怒っているか不思議そうにしていた。わたしは繋いでいた祖母の指からそっと手を離した。それを今でも棘が刺さっているかのように忘れていない。
その年が祖母の家に泊まりにいった最後の年になった。泊まりのあと珍しく父が祖母をうちに連れて帰った。祖母が自分の家の和室にいるのはとても新鮮だった。わたしは肩たたきをしてあげたがすぐにもういいよ、といった。そしてずっと祖母の家にはない庭を寂しそうに眺めていた。一週間ほどいる予定だったが、一泊だけで祖母は帰るといいだした。家を留守にするのは不安だと何度も繰り返した。そして祖父がひとりで家にいるのは可哀想だといった。そして父が連れて帰って、父はそのまま数日また祖母の家に泊まった。
それから祖母とは年に一度会うかどうかだった。わたしのこともいつまで覚えていたかどうかはわからない。わたしを忘れていく祖母にわたしは悲しみも虚しさも感じなかった。ただわたしのことがわからないのに祖母に会いに行くのは居心地が悪かった。
祖母はわたしが小学六年生のときに亡くなった。父と一緒に祖母の死顔を見た。父はああ、と声をもらしてなぜか「そうですか」といった。それ以外何もいわなかった。祖母の顔は、皺が多かったが白くて潤いのある肌だった。誰かがきれいな顔だといったのに本当だ、とこっそり思った。葬式もやっぱりどことなしに居心地が悪かった。
祖母との思い出は時々、本当に時々しか思い出さない。すいかを食べたときに思い出すかそんなものではない。すいかも滅多に食べなくなった。実家に帰ったときに三口ほど食べるぐらいだ。それに桃や季節は少し違うが葡萄の方が好きだ。祖母の思い出は決まりなくひょっこりとわたしの頭に現れる。父が迎えにきたとき手を握ったままでいてあげればよかったと思う。祖母が好きなすいかを隣で同じように食べればよかったと今は思う。けれどあのときいろんなことを心配してすいかを食べられなかった幼いわたしの気持ちを忘れたくはないなと、思ったりもする。