「おう。行ってらっしゃい。うまいやつ買って来いよー」
俺は母さんと祖母ちゃんの仏壇の前に座り手を合わせている。二人とも笑顔で俺を見てくれている。
母さんは、あの日のバッターボックスから二週間後に亡くなった。三十六歳だった。
亡くなるまでの間に母さんからある話を聞かされた。
何故「行ってきます」にこだわるかだ。
母さんが二十三歳で親父と結婚して嫁いだとき、祖母ちゃんは末期ガンで限られた余命だったらしい。ある日、祖母ちゃんが隣町の有名ケーキ店のモンブランが食べたいと言ったが、そのモンブランは並ばないと買えないくらいの人気商品で、今から走って行かなければ間に合わないほど時間が切迫していたようだ。
それで慌てた母さんは「行ってきます」を言いそびれて家を出た。そして帰ると祖母ちゃんの容態が急変していて救急車を呼んだが間に合わなかったらしい。
そして母さんは俺にこんな話をしてくれた。
『お母さんね、「行ってきます」を言いなさいって大樹に言いすぎかなーと思うくらい言っちゃったけどね。私、思うの。あの日「行ってきます」を言っていれば、大樹のお祖母ちゃんも私が家にいないってわかるでしょ。もしかしたらあの時、私が家にいると思って私を呼んでいたんじゃないかって、いないとわかっていたら、すぐに自分で救急車を呼べたんじゃないかって……』
身体がきついはずなのに囁くような声で話を続けてくれた。
『お母さんね、それでいっぱい悩んで、考えたの。「行ってきます」があれば「いってらっしゃい」が返ってきて、自然に「ただいま」を言うことができて「おかえり」につながるって。この四つの言葉って四つで一つなのかもって、だからね、最初の「行ってきます」は絶対に必要だって。だから大樹にもいっぱい言っちゃった』
当時の俺は母さんの話を、ただ泣きながら聞いていた。
母さんのおかげで俺たち家族はあたりまえのように「行ってきます」を言っている。
この前、知樹が母さんの写真を見て『ばあばぁ、いてます』と俺たちの真似をしたのか手を合わせていた。
写真も隣同士だし母さんも今は祖母ちゃんと一緒にいて、仲良く笑いあっているんだろうと思う。
母さんの「行ってきます」に込められた想いを俺は一生忘れない。
(あ、そうだった。そろそろ茶菓子買いに行かないと)
「行ってきます」
扉を開けて外に出た。騒々しくセミが鳴いていて燦々と照りつける太陽があの日の夏を想起させた。
母さんのバッターボックスを。
まだ小学生だったあの日、俺は母さんの姿を見て呆然と立ち尽くしていた。
そして、理由はわからないが、バッターボックスに立つ母さんに、俺の持てる力のすべてを出して投げるのが一番いいと思った。
渾身の力をふりしぼって、親父のミットめがけて一球を投げ込んだ。
結果は母さんの空振りだった。
フルスイング……いや、大振りだった気がする。