『うわ、はやー、大樹―! 速すぎて、お母さん打てなかったよー』
母さんは左眉を触りながら俺に言った。
その日のことを思い出すとついニヤついてしまう。
あの時は母さんの変わりように戸惑っていたけど、俺が思い出すのは笑っている母さんが左眉をなぞるように触っている姿だ。
俺の全力の一球遅かったのかなと考えるたびにニヤついてしまう。
そういえば一度だけ母さんの仕草で騙された。
俺に病気の事を話してくれた日だ。
母さんは本気で治るって信じていたんだ。
そのおかげで俺はあの日、安心することができた。
母さんが懸命に生きてくれたおかげで、今の俺がある。
俺は母さんに感謝してもしきれない。
(あ、茶菓子か。忘れるところだった。早く行かなきゃ)
足を一歩踏み出す。
スッと踏み出した足を元に戻す。
「行ってきます」空を見上げて呟いた。
「行ってらっしゃい」母さんの声が聞こえた気がした。