9月期優秀作品
『父親を待つ娘』前田雅峰
其処(そこ)は鉄道の駅から大分離れた所に在った。私の足でも駅から歩いてゆうに二時間はかかった。
都会の空と違って果てが無い。爽やかな夏空だから余計か。地平は小高い丘や森で区切られているが、其処(そこ)迄の土地は完全に私の視界の中に在った。何にも利用されていない草原、原野と、利用されているかどうかも定かではない、かなり草の伸びた牧草地だった。牛が何頭か居るには居る。しかしどれも皆座り込んでいて殆ど動かない。
此の季節なのに風が涼しい。暑くも、温かくさえない。丘の向こうから吹いて来る風は、一体どれだけ広い土地を渡って来るのか。そしてその土地は、人間の生きている土地なのか。人が今迄一人として住んで生きた事の無い、太古から続く原野ではないのか。
「そんな土地を渡って吹いて来る風だ。涼しいに決まっている」
私は何故かそんな事を思ったのだった。
駅前から続く、最早(もう)何年も前に使われなくなって放置されている、しかし軌条だけは残されている馬車軌道の終点の集落に、私は居た。比較的大きな、しかし庇(ひさし)がかなり傾いて崩壊しかけた木造の倉庫然たる建物の前である。其処(そこ)で軌条は二本共、泥の中に突っ込んで尽きていた。
泥と雑草とに埋もれた、焦茶色に錆びた細いがたがたの線路の前に置かれている踏み台の様な材木の上に私が座り込んでいると、知らぬ間に後ろに女の子が居て、小屋の前のぼろぼろのベンチに座っている。人が近付いて来る何の音もしなかったところを見ると、若しかしたら私が此処(ここ)に来た時から居たのかも知れない。私は最初知らないふりをして煙草など吹かしていたが、不図(ふと)女の子の顔を見るとそれが何とも謂えない無表情なものだったので、思わず声を掛けて仕舞った。
「お嬢ちゃん、此処(ここ)で何してるの?」
私は間違ってもそれが子供を詰責しているかの様な響きにならない様に、出来るだけ優しい声で言った。しかし女の子はそんな私の側の配慮など全く気にしないかの様に、平然と答えた。
「お父ちゃんを待ってるの」
「お父さんが帰って来るのかい?」
「ううん。分からない。でも帰って来て欲しいなと思って、此処(ここ)で待ってるの」
私は一瞬躊躇したが、何故か極めて自然に次の問いが口を衝いて出た。その質問を押し留めようとする本気の力が私に作用しなかったのだ。
「お父さん、今日は帰って来ないのかも知れないんなら、ずっと此処(ここ)に居るとお母さんが心配するよ」
「いいの。あたしが家に居ない時はどうせ此処(ここ)に居るってお母さん知ってるし、あたしの家はすぐ近くだから」
「そう。でもどうして此処(ここ)でお父さんを待つんだい? 道路はあっちだし……」
「お父さんは、此の軌道で帰って来るに決まってる」