演出家は相変わらず、タバコをふかしながら怒鳴っている。
私は、なるべく演出家と目が合わないよう定位置についた。そう。このシーンから私は登場する。それも私のセリフから。
「じゃっ、よーい、はいっ!」くわえタバコで演出家が手を叩く。
「あなたは……」
えっ?何で?声がでない!
「聞こえねぇんだけど。もう1回!はいっ!」
「あなたは……」
演出家がくわえタバコを口から落とした。慌ててスタッフが拾い、灰皿で消す。
「おいっ、俺のことなめてんか?」
私の体は震えていた。当然、声などでない。
「答えろよ!」
演出家が傍のイスを蹴った。
緊張が稽古場を凍らせ、私の体、喉を締め付ける。
「もう1回!」
私はその後、何十回と同じセリフを繰り返した。しかし、喉はもう窒息寸前まで締め付けられ、声など出る隙間もなかった。
「おいっ、こんなんじゃ、明日になっちまうよ。はぁー、お前、やる気あんの?」
私は、声が出ない代わりにぎこちなく頷いた。
「だったら、もっと周りのことも考えろよ!舞台はチームだろうが!お前1人のせいで他の奴らはずっと突っ立ったままなんだぞ!」
私は涙がこぼれそうになり、慌てて俯いた。
「へっ?泣くの?」あきれた顔で演出家が私の顔を覗いた。
私は、首を振った。しかし、顔は上げられなかった。
「もう、お前、無理だわ。帰れ」
「えっ……」
「早く!荷物持って出てけよ!」
演出家が近くにあった私のカバンをドアへと投げた。
「お疲れー」演出家が台本を見ながら言う。
もう限界だ。
私は、カバンを掴むとドアを開け、外へ出て行った。
上下ジャージという稽古着姿の私は、顔をカバンで隠し、泣きながら夜の東京を歩いた。いつもより駅が遠い。通り過ぎる人たちが私を振り返る。しかし、今の私には、そんな視線を気にする余裕はなかった。ただ、誰かに「大丈夫」と言ってもらいたい。それだけを思っていた。
いつも混んでいる電車は、私の心の中のようにすいていた。私は端に座り、頭の中で繰り返される演出家の言葉を遮るよう目を閉じた。
「終点ですよ」