体の回転を緩めながら目を閉じると、伽羅の香りと共に時が歪み、巻き戻されていくのを感じた。
子供の頃の父の姿が見える。小さな正惠叔母さんが後を追う。縁側にはうちわを持ったおばあちゃんと何故か自分も腰掛けている。奥の座敷にはおじいちゃんの姿が見える。みんな明るい日差しに照らされている。
一転、モノトーンの世界。
学校の休み時間に友達が話しかけてくる場面。なのに、そっぽを向いてしまう自分がそこにいた。困った顔で佇む友達。
そっとプレゼントを差し出す男の子に、じっと俯いたまま、いらないともありがとうとも言わない自分。チームで踊ろうとして頑張っているのに、ひとり背を向け去っていく自分。そして、家族団らんの食卓を横目に、無言で部屋に駆け上がる自分……。
次々に浮かんでくる場面が、ボクの心を叩く。なぜこれほどまでにボクは自ら心を閉ざし、ひとに背を向けてきたのか。いったいボクは、何に対して抗ってきたのだろうか。
その結果、自分は多くのひとの気持ちを踏みにじってきた。どうしてそんなことになってしまったのか。なぜ、なぜ……。
ボクの頭上で、夜の星が、月が、暗い木々が、グラグラと回り、ボクは眩暈を感じて縁側に倒れ込んだ。汗の噴き出ている額に手を当て、荒れる呼吸を整えようと胸を上下させる。
ふと足元に人の気配を感じた。体を起こすと、雑巾を手にしたおばあちゃんが、土に汚れたボクの足を拭こうとしていた。子供の頃よくそうしてくれたように。
「ばあちゃん、起きて大丈夫なのかよ」
これは夢なのだと思った。寝たきりのおばあちゃんが起きてこれるはずがない。きっとボクは夢を見ているのだ。……徐々に気が遠くなり、心地よい疲れを体に感じたボクは、そのまま深い眠りに落ちていった。
どのくらい寝てしまったのだろうか。ふと目を覚ましたボクの耳に、人の話し声が聞こえてきた。
「まったく暑くてたまらんな」
「そうね。母さんが嫌がって、今時、クーラーなしの家だからね」
「ちょっと、扇風機をこっちに向けてくれ」
父と正惠叔母さんのやり取りだった。
「よれより、兄さん。この家をどうするのよ」
「どうするかなあ」
「あなた、そういうことは、はっきりさせておかないと」
「そうですよね。このままってわけには、いかないですものね」
母と、叔母さんの旦那さんの声がそれに絡む。
「兄さんは、いつもそんな調子だから、私の方から言わせてもらうけど、この家は私達が貰うわよ。兄さんのところは持ち家があるんだし、それでいいでしょ」
「おまえ、そんな一方的に決めつけるなよ」
「そうですよ、正惠さん。こういうものは、兄弟で分けるものでしょ」
「だって、家なんか分けようがないじゃない。どうせ、兄さんのことだから、売ってお金にして分けるって言うんでしょ。冗談じゃないわよ」
まただ。おばあちゃんがまだ生きているというのに、財産分けの話なんかで揉めて、大人達はいったい何を考えているのだろうか。ボクは暗い気持ちで立ち上がり、襖に手をかける。また、怒りが込み上げてきた。
襖の向こうでは、まだ会話が続いている。