ボクは香炉に立つ線香を、じっと見詰めた。
ずっと、自分が何者かを見つけられなくて、女なんだか男なんだかも実感できなくて、いくら考えても分からないからイライラして、それを家族にぶつけ、学校でもひとを寄せ付けず、結果、居場所が無くなった。誰も分かってくれないと心の中で嘆いていたけれど、結局、自分が招いたことなのかも知れない。
でも、どうしたらいいのか、――分からない。
「なあ、彩音。ばあちゃんのために踊ってくれないかい?」
突然そう言われて、ボクは戸惑った。
「え? ここで?」
「そう。そこの、庭でな。久し振りだもの」
真っ暗だった庭に、いつの間にか月の光が射し込んできていた。昔と違って荒れてはいるけれど、咲き終わるアジサイの青と、咲き始めたサルビアの赤が、濃淡になって浮かびあがっている。花はまだ生きていた。
「ばあちゃんな、彩音の初めての観客になるよ」
「分かった、ばあちゃん。しっかり観ててよ」
ボクは子供の頃のように、裸足で庭に飛び出した。
月の光がスポットライトとなって射し込んでいる庭のステージに立ち、ボクは白く輝く満月を見上げた。月の光を全身に浴びながら、静かに目を閉じる。
足の裏に感じる、ざらついた土の感触。鼻腔を擽る庭木や雑草の青臭い香り。――子供の頃の無垢な感覚が甦る。体の内側に向けてじっと耳を澄ますと、懐かしい旋律が微かに聞こえてくる。耳に馴染んだピアノの音階。雨が跳ねるようなリズムだ。
その音に先ず指先が反応し、動きは次第に、手のひらから手首、ひじの関節、そして肩へと伝わっていく。そして、体全体がリズムに合わせて動き始めた。
あの雨の中、自分のダンスの原点となったリズム。あの時も、このピアノの旋律を耳で感じていた。体に降りかかる雨の圧力を跳ね返し、内なるエネルギーを外に向けて発散させる。自分自身の思いを、ぶつけていくのだ。
ボクの体は自然と回転をし始めた。自分が一番得意とする動き。体の内から湧き出るパワーで、今夜は月の光の粒子を跳ね飛ばす。
……いや、待て、違う。
もっと、ゆっくり、ゆっくり。そんなおばあちゃんの声が聞こえてくるような気がした。
ボクは、ふと動きを止めた。
夜の庭に佇むその姿勢のまま、静かに耳を澄まし、心の奥の小さな音に耳を向ける。またピアノの旋律が聞こえてきた。今度は、優しく憂いを帯びた調べ。いつかどこかで聞いたような……。