「祐介くんのお母さんね、お仕事していてね。昨日お休みできなかったんだって」
そうなんだ……。てっきりみんなのお母さんかお父さんが来ているものだと思っていたけれど、誰も来てくれないってこともあるんだ……。わたしは急に自分の考えていたことが恥ずかしくなってしまった。
「昨日ね、お母さん結構早めに学校に着いちゃって。あんまり早く教室行くと麻理ちゃんに怒られちゃうと思ってね。体育館とか色々見てまわっていたの」
「……うん。早く来たら、恥ずかしいから、怒るかもしれない」
わたしは小さく頷きながら、お母さんの言葉を聞いていた。
「そしたらね。教室と体育館の渡り廊下の隅っこで、男の子がひとりでいたの」
「……もしかして、祐介くん?」
わたしはお母さんの言葉を先回りして答えた。
「多分ね。お母さん、その子の名前は聞かなかったから。……名札も付いていなかったし」
「祐介くん、名札いつも忘れてて、林先生に怒られてるもん」
そういうと、お母さんは笑って「じゃあ、やっぱりあの子が祐介くんだろうね」と言った。
「祐介くん、どうしてたの?」
わたしは気になって、お母さんに話の続きを聞こうとした。けれど、お母さんは首を左右に振って、こう続けた。
「……祐介くんは、寂しかったんだろうね。でも『誰にもしゃべらない』って、約束しちゃったから、これ以上はいくら麻理ちゃんでも言えないの。ごめんね」
わたしは、ちょっとムッとした。なんで祐介くんがお母さんと約束なんてしてるのよ。わたしのお母さんなのに。なんでわたしに秘密にされなきゃいけないのよ。
くちびるを尖らせつつ、頰っぺたも風船のように膨らませた。わたしが納得いかないときにいつもやる癖だ。その様子を見て、お母さんはクスクスと笑い出した。
「麻理ちゃん、そんなにくちびるをとがらせないで。いつか、タコみたいになっちゃうよ」
「でもさ、お母さんが秘密だなんていうから!」
お母さんは困った顔をして、うーん、じゃあヒントだけあげましょう、といった。
「お母さんは、祐介くんにハンカチを貸してあげました。ああ、もうこれ以上は、言えないな。約束破ることになっちゃうから」
そう言って、お母さんはいたずらっ子のようにウインクして、わたしに笑いかけた。
……ハンカチ? 手を拭いたのかな?
「……もしかして!」
わたしはひとつの想像に思い当たった。けれど、お母さんは「シィー」と言いながら人差し指をわたしのくちびるにそっと近づけて、こう言った。
「それ以上は、言うと祐介くんのプライドを傷つけちゃうから、内緒ね」
わたしは、こくんと頷いた。お母さんは、よし、と言ってわたしの頭を撫でてくれた。お母さんの手はふっくらとして、柔らかかった。