「あおいはよう頑張ったわ。残念やったけど、勉強したことは無駄にならへんで」
甘くて柔らかいかたまりが、泣き枯れた喉を優しく滑べり落ちていく。お母さんがいてくれて良かった。
その日の夕方、おつかいをすませて家に着くと、庭に面したリビングの窓が開いていて、テレビの音と父の笑い声が漏れてきた。
(娘が落ち込んでる時に、よくそんなに笑えるな)
若干いらただしさを感じながら家に入った。
「あおい、遅かったな。日が明るいからと言っても油断しちゃダメだぞ」
そう言った父に顔を向けた私は、全身の毛が逆立った。父の近くには小さなテーブルがあり、その上に黒い容器に入ったゴキブリ団子が散乱していたのだ。許せなかったのは「ブラックキャップ」と書かれた銀色のパッケージが、ちょうど私の洗濯物の上に無造作に置かれていたことだった。
「そんなもの服の上に置かんといてや!ゴキブリ来たらどうするん!」
自分でもびっくりするほどの金切り声が出ると同時に、洗濯物を素早くひったくった。
「大げさだなあ。匂いはすぐ消えるって書いてあるから大丈夫だ」
父は笑って謝ろうともしない。その態度に余計腹が立った。
「でも気持ち悪いわ!なんで服どけてくれへんのよ、ほんまにいい加減やねんから!」
「キーキー騒ぐな。近所迷惑だろ」
私の怒りに構うことなく、父はマジックペンでシールに日付を書いて容器に張る作業を続けた。バナナみたいな甘い匂いを放つ容器は真っ黒な小型爆弾みたいで、確かに効果はありそうだった。匂いが洗濯物にこびりついている気がして、寒気が走った。
「最悪!お父さんのせいで、私の洗濯し直さなあかんわ」
皮肉たっぷりに言うと、父はふーっとため息をついて口を曲げた。
「まったく、神経質すぎるだろ。そんな性格だから留学だって選ばれなかったんだ」
「はあ!?そんなん関係ないし!アホなこと言わんといて」
「性格は顔に出るからな。選ばれた友達の方が、お前なんかよりよっぽど人に好かれる顔をしていたんだろう」
父の言葉でマキの檀上の笑顔を思い出して、怒りが再燃した。
「顔って言うけど、私の顔が可愛くないのはお父さんが不細工だからやで!私、もっとかっこよくて優しくて金持ちなお父さんの元に生まれたかったわ!」
父の顔が一瞬にして青ざめた。
「あおい!お父さんに謝りなさい!」
「いやや!思ったこと言っただけや!絶対謝らへん!」