他の部員の肩を借りて、保健室に向かう自分が恥ずかしかった。
(新海先生の前でマキに勝つはずやったのに。マジでイタいわ)
マキが遠巻きに私を見ていたけど、足の痛みで気付かないふりをしてグラウンドをあとにした。
「まったく、女の子が顔に傷でも残ったらどうするんだ」
家のリビングにて、むすっとした丸顔の中年太り、もとい私の父が目の前で腕組みをしている。
「仕方ないやん。スポーツに怪我はつきものや」
「口答えよりもまず反省しろ。カーブで転んだって?スピードの出しすぎだろう」
「ロード乗ってないくせに、何が分かるん?」
「ふん、自転車も車も原理は同じ。お父さんの方がずっと上手く乗れるさ」
「お父さんみたいなんがロード乗ったら、即パンクするわ」
「二人ともそのへんにしーや。冷めたら美味しくないで」
母が料理皿を食卓に運びながら言った。お皿から立ちのぼる湯気で、私と父の間に白い半透明の壁ができる。いつもの「休戦提案」だ。家族三人の夕餉の時間。
「あおい、オーストラリアのやつ、まだ分からへんの?」
「来週中には分かると思う。選ばれたら再来週の終業式で挨拶せなあかんし」
豚の生姜焼きをほおばると、今日の疲れも左足の痛みも軽減される気がした。
「ライバルは多いんだから、あんまり期待しないことだな」
父の標準語はこういう時、より無情に聞こえる。
「分かってる」
そのあとの「余計なお世話や」の言葉は、生姜焼きと一緒に無理矢理飲み込んだ。胸がつかえて苦しい。
うちの高校では、毎年夏休みになると英語の成績が優秀な一年生を対象に、オーストラリア短期留学が実施される。私の授業態度は常に真面目だったし、中間も期末テストも手応えは十分だったから、選ばれる可能性はかなり高いはずだ。なにより同じ希望者のマキには負けたくない。宿題はしょっちゅう出し忘れるし、授業で当てられても分からないことはいつも笑顔でごまかしてしまうマキなんかに。
翌朝、五時に目が覚めた私はロードの練習をすることにした。左足はまだ少し痛むけど、もう普通に歩ける。洗面所にある父のモンダミンを手に取り、マイコップに注いで口をゆすぐと、少し舌がピリピリするけど口の中が程よく刺激されて目がさえた。口の中いっぱいにキシリトールの匂いが広がると、小さい頃よく父と一緒にグチュグチュしていたのを思い出した。
そういえば、昔は父が使ったモンダミンのカップに平気で口をつけていたのに、いつからこうやって、父を自分の生活から切り離すようになったのだろう。
外に出ると、ちょうど朝焼けが始まる前だった。太陽が雲を突き破りそうなこの雰囲気が好き。遠くに見える大きな観覧車は、まるで地面に逆さまに突き刺さった巨人の自転車みたいだ。「カチッ」と響く、ピンディングペダルの装着音。まっさらな空気を吸い込んで、思いっきり吐き出すと心がシンとなる。