「ねえねえ、しおり。新しいお兄ちゃん、来た?」
「うん、きたよ」
と、私が答えると、ゆきちゃんは一層に目を輝かせて、
「どうなの、かっこよかった?」
と聞いてくる。ゆきちゃんは私の家に新しいお兄ちゃんが来る度に、何かそういう漫画や小説を読んだのだろうか、この質問をしてくる。けれども私にとってのお兄ちゃんは本当にただのお兄ちゃんだし、かっこいいも何もないから、
「お兄ちゃんはお兄ちゃんだよ。かっこいいとかそういう風には思わないよ」
と、ゆきちゃんに答える。
「うそだあ。いいなあ、新しいお兄ちゃん。私も欲しい」
「でもゆきちゃんには本当のお兄ちゃんがいるじゃない」
「あんなのうるさいし最悪だよ、どっか行って欲しい」
ゆきちゃんのお兄ちゃんは、ゆきちゃんの二つ歳上の高校一年生で、ゆきちゃんが言うには、思春期ですぐ怒るしなんか色気づき始めたし気持ち悪い、とのことだった。ゆきちゃんとゆきちゃんのお兄ちゃんは聞いている限りだと、何年か前からかその、思春期、のせいですごく仲が悪くてほとんど口も利かないという。私はお兄ちゃんとは普通に話すし、うちにくるたいていのお兄ちゃんは優しいから、ゆきちゃんみたいに仲が悪くなる理由は分からない。仲が悪くなることなんてないけれど、その代わりに私の場合はお兄ちゃんがただ入れ替わっていく。何にも仲が悪くなんてなくてもじきにお兄ちゃんとは話せなくなる。ゆきちゃんとは前からよくお互いのお兄ちゃんの話をする。だから自分の家のお兄ちゃんが人の家とは少し違っていることも、小学校の頃ゆきちゃんとお兄ちゃんの話をしているうちに徐々に気づいていった。うちのお兄ちゃんとふつうのお兄ちゃんの違うところで気づいたことは三つ。ふつうのお兄ちゃんは入れ替わったりしない。百円で売り買いされていくこともない。それとあともう一つ、お兄ちゃんという名前以外にきちんと私やゆきちゃんと同じように名前を持っているのだということ。この三つ。私のお兄ちゃんには名前がなかった。それから私の家のようにお兄ちゃんを百円で買っている家庭は決して少なくはないけれどあまり一般的ではなくて、百円で売り買いされていくお兄ちゃんの存在自体を問題視する人も大勢いるのだということはあとから自分で調べて知った。それでもお兄ちゃんの需要はいろいろな家庭でなくならなくて、どこからやってくるのかも分からないお兄ちゃんたちがいろいろな家庭にやってきてはまたどこかの家庭に移っていく。お兄ちゃんをうちが買い始めたのは、私が物心つく前のことで、だから私には小さな頃からずっとお兄ちゃんがいた。私はその一人目のお兄ちゃんのことを本物のお兄ちゃんだと疑っていなかったから、はじめてお兄ちゃんがうちから新しい家庭に売られていったときには、急にいなくなったお兄ちゃんを泣きながら探しまわったけれど、探しまわっているうちに新しいお兄ちゃんがやってきて、新しいお兄ちゃんに、しーちゃん、と呼ばれるとなぜだか前からそのお兄ちゃんがずっとお兄ちゃんだったような気がしてくる、泣きながら探しまわったお兄ちゃんがいなくなって、新しいお兄ちゃんがやってきてそのお兄ちゃんがお兄ちゃんであることを自然と納得してしまう。というのが何回か続くと、私のお兄ちゃんは一人じゃなくて入れ替わるものだという風に、幼いながらに理解するようになった。それにいなくなったお兄ちゃんを探そうとしても名前が分からないから探せないし、新しく家に住みはじめたお兄ちゃんがお兄ちゃんとして更新されてしまうからどうにもできない。けれども段々と、何度でも入れ替わり続けるお兄ちゃんにも飽きてきて、それも、飽きてきて、というのはお兄ちゃんが入れ替わること自体をおもちゃに飽きるみたいにつまらなくなったわけではなくて、入れ替わり続けるお兄ちゃんのことを自然なこととして納得することに飽きた、という感じ、うまくは説明できないけれどそう。だから入れ替わるくらいならはじめからお兄ちゃんなんかいなければいいのだと思うようになったときがあって、前にお母さんとお父さんに、どうしてお兄ちゃんを買ったりするの。と聞いたことがある。聞いてから、ああいま、私は聞いてはいけないことを聞いている気がする、と思ったことも覚えている。そしたら二人は案の定黙ってしまって、私も黙った。それからしばらく黙ったまま三人で見つめ合っていて、それは三人で見つめ合っているから、目と目を合わせているという感じでなく、ちょうど自分以外の二人の間にある空間をじっと見つめている、といった感じの見つめ合いだった。三人のその少し違和感のある見つめ合いは、一時間以上の長い間にも、ほんの五秒にも思えるくらい続いて、沈黙に疲れてしまった私が目をそらし部屋に戻ろうとするときに、いるのよ、お兄ちゃん、本当は。と、お母さんが呟いたのだった。でも私のお兄ちゃんたちはみんな偽物じゃない。と私が言い返したら(これもまた言ってはいけないことをいっていると他人事に思ったのだけれど)、違うの、いるのよ、お兄ちゃん、ちゃんといるの。とお母さんが同じことを繰り返して言う。それに対して私は何にも言えなくて、というよりは何かを言う気が失せてしまって、だから何も言わずに部屋に戻っていった。お父さんだけが最後まで黙っていた。黙っていたお父さんが後になって私の部屋にやって来て、しーちゃん実はね、と言ってからその後は簡単な言葉で、私の本当のお兄ちゃんは私が生まれる前に死んだのだと説明した。説明。という言葉が本当にぴったりなくらい、事務的な物言いだった。それ以来、私はお兄ちゃんを買うことに関して、お母さんとお父さんとは一度も話をしてない。