母だった。
「ああ、もう少し」
私は本に視線を落としたまま言った。
母は居間の入り口に立ったまま動く気配がなかった。
「ん、どうしたの」
私は顔を上げた。
「いや、何でもない。風邪引かないように」
母はそう言うと自分の部屋へ戻っていった。
私は遠ざかる母の足音を聞きながら、しかし、それ以上、声をかける事はしなかった。何か面倒な話題を持ち出されたくないという意識が働いていた。
結局、私はテレビを見ながらこたつで寝てしまった。足が暑くなって目を覚ますと、明け方の四時だった。それから妻の寝る隣の部屋へ行ってふとんに入った。
母が言おうとしたのは父の墓のことではなかったのだろうか、次の日帰りの車の中でふと思った。ただそれは、私がそのことを気にしていたからで、母が何を言いかけて止めたのかはわからない。
小学校の低学年の頃から、私は父を嫌いだった。それは、私が父に似ていると思っていたからだ。。優柔不断で何事にも勇気がなく、人の顔色をいつもうかがっている、私はそんな子供だった。そういう自分が嫌いで、また、なるべくそういう欠点が友達にばれないように、私は学級委員に立候補したり、中学三年の時には生徒会の会長に立候補したりした。
実は蒸発してから父が一度だけ電話してきたことがあった。そのとき家には私しかいなかった。この話は母にも妹にもしていない。夕方だったと思う。母は仕事で毎日遅かったし、妹はたまたま帰ってきていなかったのだろう。私が電話に出ると、父は私の名を呼んだ。その瞬間。私の中に怒りの気持ちがせり上がってきて
「どこでなにやってんだ」
と怒鳴っていた。
父は掻き集めることさえ出来ない滓のような父親の威厳を見せて「お前には関係ない」
と言った。
そのあとのことはよく覚えていない。何かそれ以上言ったのか、どうやって電話を切ったのか、記憶の中には何もない。私は高校二年だった。
私の勤める会社は京橋にあり、寺の場所へは地下鉄で三十分程度の距離だったが、父の墓のことを知ってからも、そこを訪ねることはしていなかった。
母が倒れたのは夏だった。友達と京都へ行ってきたと、そのひと月ほど前に電話をかけてきたばかりだった。旅行は、六十五歳になった自分への誕生祝いだと言っていた。