私と姉は、今井さんの口から語られる言葉に、自分の人生を重ねたりしながら聞き入っていた。
「去年の6月、梅雨入りして雨が続いてたある日に、店の前の歩道をさつきさんが歩いてたんだ。傘も差さないで、髪も服も濡れていて。僕は驚いて、すぐに店の中へ入るように声をかけたんだけど。そしたら、さつきさん僕の腕をつかんで、まっすぐな視線で「今すぐにフランスへ行きなさい。フランスでお菓子の勉強したいんでしょ。その想いが消えないうちに、すぐに行きなさい」って言ったんです。僕、驚いたんだけど、その勢いに背中押されて、あ、「いつか」は「今」なんだなって思って、その翌月にはフランスへ行っていました」
母は去年の6月、医師に末期がんと告知された。母は私たちには、涙一つ見せずに、淡々と末期がんであることを伝えた。ベッドで過ごすのが嫌だから治療は一切受けないことを決めたと母は言った。私たち姉妹は突然のことで混乱した。自分一人で全て決めてしまって、自分勝手だと私たちは母を責めた。けれど母は、
「私の人生だから、自分で決めることが責任よ。あなたたちも、私のことに構わずに、自分の人生を生きなさい。私は、泣いて、笑って、美味しいもの食べて、自分が素直にいいと思うものにいいって言える時間を過ごしたいだけなのよ。それだけなのよ」
と、少し困った顔をしながら、私たち二人にそう言った。
そんな母が、傘もささずに雨に打たれ、放心状態で道を歩いていたなんて、ショックだった。きっと、病院で告知された日に違いないだろう。今井さんの記憶に浮かぶ「さつきさん」は雨にずぶ濡れで、本当は泣いていたのかもしれない。
母さん、つらかったんだろうな。一人で泣いて、一人で決心することなんて、簡単にできることじゃないんだ。
姉も私も、堪えきれず泣き出していた。涙は止めどなくあふれ出た。今井さんは、私たち姉妹が泣きじゃくる横で、静かに寄り添ってくれていた。
しばらく私たちは、ただただ涙を流した。母が亡くなってから葬儀の日以来、私と姉は泣くことが無かった。悲しくないわけではない。お互いに気を遣い、涙を見せることが出来なかった。どちらかが涙を流せば、立っていられなくなるんじゃないか、前に進めなくなるんじゃないかと、気持ちを奮い立たせて必死に涙を耐えてきた。
今井さんは、私たちが、ただ泣くことだけに没頭させてくれた。
涙を流すことは、私たちの胸につっかえていたモヤモヤを、体の外へ排出していくような作業だった。
「もう一杯いかがですか?」