「でも、お店にはたくさんのパンを並べないと華やかさは出ないし、品数少ないとお客さん来ないよ。私と優だけだと人手不足よ。それに場所も必要だしね。」
「大丈夫。予約制にしようと思っているから。2人だと作れる量に限りがあるから、前日までに予約を受けたものを作って、焼きたてを配送するの。そうしたら、店舗を構える必要はない。もし予約の数量があまりにも多かったら、途中で打ち切ればいいんだよ。完売しましたってね。例えばだけど。」
「予約制なら無理なく作れるかも…。」と母は私の提案に少しずつ興味を示しているようだ。
「でも、店舗がないのにどうやってお客さんに知ってもらうの。」
「こんなものを作ってみました。」と言って、引き籠ってパソコンで作ったチラシを母に見せた。チラシには「あなただけのパン、作ります。」というキャッチフレーズと、色んな種類のパンと、煙突から煙が出ている煉瓦造りの家の絵が描かれている。
「数では勝負できないからね。手の込んだ質の高いものをお客さんに提供する方が、私たちには向いていると思ってさ。」と私が言うと、母は真剣に頷いた。
「基本的にオーダーメイドで、予約は前日まで受付。1日あたりの数量は限定する。配送は私が車か自転車ですればいいかなと思っているよ。とにかく、チラシを配ってみて反応を見てみようよ。」
「試してみたいかも。」と母もついに賛成してくれた。
無謀だけど、根拠のない希望が湧いてきて、私も母も興奮気味だった。
そのティータイムの後から、ふたりはスイッチの入ったように活動し始めた。私はインターネットで材料や調理用の機械を安く買える店を探し始めた。母も大量に本を取り寄せ、パン作りについて改めて勉強をし始め出した。家の中にシャキッとした活気が出てきた。
夜、帰宅した父は、ふたりが同じ方向に向かって頑張り始めていることを雰囲気で感じとったのか、「ふたりとも頑張ってね。」と微笑み、パスタを茹で始めた。
私が寝る前、母はまだ次の日のパンの下準備をしていた。ゆっくりと着々と。身体に悪いから無理しないでほしいと思ったが、真っ直ぐ自分のやりたいことをしている母は幸せそうだったので、声をかけずに私は二階に上がった。
チラシを配ってから数日が経った。私と母はワイドショーを観ながら、午後のティータイムを楽しんでいた。父はソファで新聞を読みながらコーヒーを啜っている。
「来ないね、注文。」ポツリと母が言った。私も同じことを思っていたが、言葉にしてしまうと永遠に注文が来ないような気がして、触れないでいたことだった。
台所の隅では、奮発して買ったピカピカの大きなオーブンが出番はまだかまだかと首を長くして待っているし、今朝焼いたテーブルの上のパンたちは、フルーツで着飾り、いつ活躍できるのかと待ちわびている。