その中にお父ちゃんが好きだった入浴剤が入ってて。久々に使ったらお父ちゃんの声が聞きたくなったの」
「おお、露天湯めぐりのことか、懐かしいな。アキが小さい頃はよく一緒にお風呂に入ったもんな」
10年以上前のことでも、父がハッキリと覚えていてくれたのは単純に嬉しかった。
「父ちゃんと一緒にお風呂に入ったのは、いつが最後だっけ?」
「そうだなー。アキが幼稚園くらいのころかな。あの頃、アキは”長野五色の湯”が好きでなー。“この色が好きー”っていって他の入浴剤を使わせてくれなかったんだよ」
確かに、父と入るお風呂といえば、いつもあのお湯の色だったが、それは父が大好きだからだと思っていた。しかし、どうやら私がその入浴剤を好いていたらしい。
数十年した今になって、その事実を知った私は、単純に驚いた。
「そうだったんだ。私はてっきりお父ちゃんが好きなのかと思っていた」
「いやおまえ、そりゃ俺も好きだけどよ、アキがあの湯が好きだから俺も好きになったのよ」
「知らなかった。子供の頃のこと、父ちゃんとお風呂に入ったことあんま覚えてないんだね、私」
「まあ、小さいころだしな、仕方ねえさ。――そういえば、あの時、一緒に長野に温泉入りに行く約束もしたなー。いやー懐かしいな。俺もこっちでは病院の風呂にしか入れないからよ、入浴剤とか使えなくて風呂に入った気がしねぇんだよ。家に戻った時は母ちゃんが気を利かして入浴剤をいれてくれるけどよ、混ぜ方がなってねぇんだよなー。あれじゃあ、湯の色が悪くなっちまうんだよ」
普段どおりの、私の記憶のままの父が電話の向こうにいたからか、
久々に家族の温かさに触れることができたからかは分からないが、
湯船には大粒の涙がポロポロと落ちていた。
父は電話越しでも私の異変に気付いたようで、
「どうした?大丈夫か」と問いかけてくるが、今の私には言葉を返すことができなかった。
病気にも負けずに明るく振る舞っている父に対して、
私が弱音を吐いている場合じゃないと思ったからだ。
父には心配をかけるのではなく、自身の成長を示してあげたかった。
「大丈夫だよ、父ちゃん」
「おおそうか。なら良かった」
「父ちゃん。私さ、今度の休みにそっちに帰るから。今日はそれが言いたくて電話したの」
「おおそうか、アキに会うのは久々だな。みんな喜ぶぞ!」
「うん。じゃあ、来週ぐらいになったら、そっちに行くから、またね」
「おう、またな」