驚きはしたものの、どこかほっとした。一時の気の迷いに違いないと、まだ仁志を説得できる自信があった。若いときには、突っ走ってしまうものだ。すぐに気が変わるに違いない。
「子供が出来たんだ」
想像できないことではなかったのに、その一言には衝撃を受けた。
このあと仁志は、何とかして欲しいと頭を下げるのだろう。もしかしたら、ここで一緒に暮らしたいと言い出すのかもしれない。もともと家族四人で暮らしていた家なのだから、二人が増えても困ることはないけれど、これまで通りの生活はできなくなる。一瞬のあいだに予想される要求を頭の中を駆け巡らせ、そんなことが問題ではないのだと思い当たる。
考えが甘いのだと、言い返す言葉は準備してあった。しかし、仁志はすでに大学に退学届けを提出し、居酒屋のアルバイトも、夜だけではなくランチの時間帯も入れるように交渉を済ませ、その合間に正社員として働くことの出来る就職先を探していた。
「先回りして、俺を納得させるつもりか?」
「親父に納得してもらうためにそうしたわけじゃない」
自分の息子ながら、たいしたものだと思う。育て方は間違っていなかった。どうしたらよいのかと相談されるよりも、どうにかして欲しいと泣きつかれるよりも、ずっと男らしい。
それも本心だけれど、自分の息子にはやはり、苦労を背負わせたくないのが本音だ。結婚が悪いことだとは思わないけれど、独身時代にしか味わえない楽しみというものがある。あとになって、若い頃に遣り残したことを後悔しても遅い。
言いたいことはたくさんあったのに、うまく伝えられなかったのは、やはり興奮していたせいだろう。
「勝手にしろ」
そう言うと仁志は言い返すこともせず、部屋に戻ろうとした。
「俺は認めないからな」
言ってしまってから、こんな締めくくりで良いはずがないと悔やんだけれど遅かった。
「聞いたわよ。仁志から」
「そうか」
「仁志はお父さんのことをずいぶん気にしていたわよ」
いつからだろう。あんなに泣き虫だった麻衣子が、この家の母親役を引き受けていた。私と息子の間に入り、決してどちらかに無条件で味方になることはなく、いつも中立的な立場で物事を振り分けてきた。男だけで暮らしていたなら、こうはいかなかった。
妻は、十五年前に亡くなった。麻衣子が小学校に入ったばかりの頃で、仁志はまだ幼稚園に通っていた。麻衣子や仁志にはずいぶん寂しい想いをさせたけれど、毎日が精一杯だったから、この先どうなるのだろうという不安を抱える暇さえなかった。
「麻衣子は、どう思うんだ?」
「私たちが考えても、どうしようもないでしょう」
確かに、仁志は私に相談したわけではない。報告しただけだ。