絞り出すような声で言い残し、美幸は部屋を出ていった。
美幸の言葉に、私は正直驚いた。
美幸が心配していたのは、自分の事ではなく、私の事だった。
思い返してみれば、美幸はいつも私の事を支えてくれていた。夫の看病で私が家と病院を往復する日々が続いた時、学生だった美幸は遊びたい時期だったはずなのに、アルバイトをしながら家事をこなしてくれた。夫のお葬式の時も、涙を流さず、私のそばに寄り添ってくれた。結婚する時も、二世帯住宅にしようと提案してくれた。さすがにそれは悪いと思い断ったが、結局今も実家の近くに住んでくれている。たまたま良いマンションがあったからと言っていたが、美幸なりの気遣いだったのだろう。
守られていたのは、私の方だった。
こんな大切な事に、今頃気付くなんて。
優しさに包まれている人間は、包まれている事にすら気が付かない。
当たり前って、怖い。
ひとりでお茶を飲んでいると、女将さんが片付けに来てくれた。
「お食事、いかがでしたか?」
「とってもおいしかったです」
「それはよかったです。娘さんとは、よく旅行をされるんですか?」
「いえ、娘も結婚して子供がいるので、なかなか。でももうすぐ旦那さんの仕事の関係で海外に行くので、その前に二人で旅行しないかって、娘が誘ってくれたんですよ。私の夫は随分前に亡くなっているんですが、せっかくだったら、私と夫の思い出の場所にしようって言ってくれましてね」
話をしながら、自然と笑顔になっている自分に気が付いた。
「そうだったんですね。新婚旅行の場所に招待するなんて、素敵な娘さんですね」
そう。本当に、いい娘に育ってくれた。
「40年前ということは、先代の女将の時代に来て頂いたんですね」
「そうです、先代の女将さんも素敵な方でした。今はどうなさっているんですか?」
「先代の女将は私の母なんですが、10年前に病気で他界しまして。気丈な人だったので、亡くなる直前まで女将としてこの旅館を見守っていました」
女将さんは寂しそうな笑顔を見せた。
「10年前っていったら、まだお若いですよね。これから一緒にやっていこうという時に、残念でしたね」
「そうですね。まだまだ母から学びたいことが沢山ありましたから。でも、不思議なんですけど、亡くなってからの方が、より母を身近に感じるような気がしているんです。何なんでしょうね、この感覚。半人前の私を、いつもそばでフォローしてくれているのかもしれません」