9月期優秀作品
『この日、僕は『家族』をした。』雨宿ひろゆき
一人前に家庭を持って二十四年目──それだけの月日が経っていれば、子育ての問題の一つや二つくらいは抱えていて当たり前なのかもしれない。だが今の僕らは、とても一つ二つなんて気軽に数えられないくらいに、難しい問題に直面してしまっていた。
「ほんとクソみたいな家。本当に嫌なんだけれど、うざすぎ」
「待ちなさい彩香! お父さんにそんな口の利き方ないでしょう!」
今日も娘の彩香の帰りが遅かった。もう夜中の二十二時だ。女子高生の帰宅時間にしては遅すぎる。理由を尋ねても本人は答えてくれないし、妻の雅子は『内申点に響くから』なんて言って、学校に問い合わせようとする僕に待ったを掛けてくる。その代わりに、夜な夜な雅子の金切り声が屋内に響くわけだ。僕自身も父親らしく怒ってみたりはしているが、不器用なせいで怒鳴るばかりで支離滅裂になってしまう。直情型。怒るのは昔から苦手である。一方的に顔を真っ赤にして怒る僕の姿は、娘の目にはさぞかし情けない姿に映っていたことだろう。
最近はこんなことばかりだ。
こんなはずじゃあなかった。もっと幸せな家庭になっているはずだった。
僕が悪いのだろうか。父親として未熟だったのだろうか。
毎日早朝の出勤がどれだけ早くても辛くても、風邪を引いたとしても台風がすぐそこまで来ていても、どんなことがあっても頑張って職場へ赴いて、汗が滲む思いどころか毛穴から血を滲ませる思いで働いてきたつもりだった。守るべき人たちを守るためだ。一生かけて幸せにすると誓った妻を、難産の末に授かり今や高校生になった娘を、八十歳を超えた父を、身も心も削りながら、彼ら彼女らを必死に守ってきたつもりだ。
なのに、どうしてこんなにも我が家は脆く崩れようとしているのか。
なんとかしなければならない。そう感じながらも、どうしたら良いのか分からなかった。数年前まではあんなに素直で可愛げのあった娘が、こうも人が変わったように振る舞い始めるなんて予想もしていなかったのだ。そうしてずるずると時間だけが過ぎ去り、根本的な解決から目を反らしている内に、ついにはクソ呼ばわりされる始末。最も心に刺さった彩香の罵りは、出勤前の早朝に彩香と廊下で擦れ違ったときだった。
「おはようとかいいから、口臭いし」
思わぬ暴言に言葉を詰まらせた僕は、呆然とその場に立ち尽くすしかなかった。
口が臭いって、僕が?
ついさっき歯を磨いたばかりだった。それとも単に機嫌が悪くて、八つ当たりをしたかっただけだったのか──体調不良だとか、女の子の日が来ていただとか……女の事情に関しては全く太刀打ちが出来ない。あらゆる点で娘に対する理解が浅い駄目な父親だった。それ以前に、今時の女子高生の扱いは僕には難しすぎた。僕ら世代の考え方が通用しない。たとえば部下が言うには、『写メール』という単語が通じないらしい。『インスタを撮る』と言うのだと会社の若手が教えてくれたが、ついていけない。インスタってなんだよ。インスタントラーメンの親戚か何かなのか。生きている世界が違いすぎる。こうして娘との距離が開いていくのだろうか。
最近は会話らしい会話もしていない。僕の帰宅時間が毎晩遅いということもあるが、会話の時間を設けようと思ったら、いくらでも設けられたはずだ。最後にまともに話をしたのがいつかなんて、もはや覚えていない。強いて挙げるのなら、さっきの「クソみたいな家」が最後の会話だった。あんなものが会話と呼べるのかは甚だ疑問である。
そもそも我が家で談笑をしたのは、いつ以来だろう。