俺の声に、じいちゃんは首を小さく傾げて、申し訳なさそうに笑った。
「耳が全然聞こえんと!」
(あ、そうだった……)
80歳を過ぎた頃から、じいちゃんの耳は急激に悪くなった。が、頑なに補聴器を拒んでいるらしい。
「……お腹空いた!」
じいちゃんの耳元でできるだけゆっくり、大きく、はっきりとそう伝えると、じいちゃんはよし来たと頷いて、待たせていたタクシーに案内してくれる。
前に会ったのは、俺の従兄弟の結婚式だから――祖父母と顔を合わせるのは、かれこれ6年ぶりだ。
子どもの頃は、夏休みの度に会いに来ていたのに。
中学に上がると部活が忙しい、高校生になればバイトと遊びで忙しい、大学生になれば金はないし就活で忙しい……ありふれた理由ではあったが、本当にそんな理由で足を運ばなくなった。
けれど、一体何がそんなに忙しかったのか今となっては分からない。
社会人になった今、今度は金はできたが時間がなかった。結婚すれば妻に家のことを任せられるようになった分、ほんの少し時間の余裕はできたが、また金の問題が出てくる。移動に17時間かかるのだからそれなりの金額が飛ぶし、慎ましい生活を送る身としては、将来子どもに金をかけてやりたい思いもあったりでなかなか思いきれなかった。
今回は、出張で博多まで出てきたものだから、勢いでえーいと突撃した……そんなところだった。
*
ばあちゃんは年のわりにはハイカラというか、昔ながらの家ではあるが、キッチンを改装して洒落たダイニングを設け、そこで手料理を振る舞うことに命を懸けていると言ってもいい。家に着いて、俺はパワーアップしたばあちゃんを目の当たりにした。
荷物を置くなり出された朝メシは、日頃俺が2日ほどかけてやっと食べきるであろう品数がテーブルに所狭しと並べられた。
なんだこれは。旅館の懐石か。
「あのさ、ばあちゃん……朝メシだからね? 俺こんなに食える胃袋持ってないよ」
「まあ~いつからそんな小食になったとね。大地は豆ゴハン好きじゃったよね? 刺身には白ご飯の方がよかか?」
「ああ、うん……ちょっとだけちょうだい。豆ゴハンも」
アラの吸い物に、獲れたてのイカ刺し、昨夜の残りだという鯛の煮つけ、ちょっとくらい肉っ気もいるだろうと張り切ってくれたらしいトンカツ(もはや朝メシの概念は行方不明)。酢の物やサラダ、デザートの果物まで付いたフルコースは、否応なくばあちゃんの歓迎の意を表していた。
「1泊しかできんなら、たらふく食べさせんばね!」
「お、おう」
俺の胃袋、破れないだろうか。
けれど、ばあちゃんのメシは美味い。
俺が食べればニコニコと笑いかけ、じいちゃんに「嬉しかねぇ」と言う。訛りがあるが、「嬉しいね」の意味だ。
耳の遠いじいちゃんは「はい、なんでしょう?」と穏やかに笑い、ばあちゃんはさっき俺がしたみたいにじいちゃんの耳に顔を近づける。
「……ああ、そうか。そうぞ? ばあちゃんのご飯は美味かとぞ?」
じいちゃんが誇らしげにするのを、ばあちゃんが笑う。
そして、腰が痛いと言うじいちゃんはよっこらしょと立ち上がって、ゆっくりと自室へ戻っていった。
「美味いなぁ。向こうじゃこんなん食べれんよ」