僕はそのタイトルを見た瞬間、祖父から僕への惜しみない愛を受け取った気がした。無口だった祖父が孫の為に紡いだその物語から、知らないうちに祖父の精一杯の愛情は僕に伝わっていたようだ。だって僕はその物語が大好きだったんだから。
気付いたら僕の目からは涙が溢れていた。涙は一粒こぼれると後から後から止まらなかった。何が起こったのかとこちらを見ている数人の視線の中、ボロボロになっている僕を老人は何も言わず、ずっと見つめていた。
思えば祖父が亡くなってから僕は初めて涙した。
祖父の死を初めて悲しいと感じた。叶うのであれば、直接会って話したいことがたくさんある。でももうそれは叶わないし、祖父が何を伝えたかったのか、本当の所はもう誰にも分からない。そして僕は、祖父のことが好きだった自分を思い出した。でもあまりにも遅過ぎた。
ただ一つ明確なのは、僕の大好きなこの物語がこれからも永遠に、僕の中で生き続けていくということだけだった。
オレンジ色に染まる世界の中、僕と老人は店を出た。僕が泣き止んだあと、老人はもう祖父の話をしなかった。僕と老人はさりげなく世間話のような会話をして、少しばかりの時間を過ごした。店を一歩出た瞬間、僕は現実を取り戻した。
「今日はありがとうございました。……いきなり泣いたりして、なんだかすみませんでした」
老人は山高帽を片手に微笑んだ。
「とんでもない。また会えるといいですね、では」
ロングコートを翻し去って行く背中に、向かって僕は急いで言った。
「あ、お名前を聞いていませんでした」
僕の問いかけに老人は振り返り、今日一番の笑顔でこう言った。
「徳川と申します。一部からは徳川警部補と呼ばれています。以後お見知りおきを、光太郎さん」
るんるんと歩いて行く徳川の背中を見ながら僕は唖然とした。なんだか祖父と徳川に一杯食わされた気がしたが、次第に可笑しくなってきて赤い橋を見つめた。夕景の中の赤い橋はさらに美しく、水面はキラキラと瞬いていた。僕は薄青い寒空の下、オレンジ色の目映い光を受けながら祖父も見ていたであろう景色をいつまでも眺めていた。
「どういう風の吹き回しなの?お墓参りに行きたいなんて」
後部座席に座る僕に、運転席から母が訪ねる。
助手席では妹がカーナビの操作に手間取っている。
「別に」
僕は過ぎて行く田園風景を見ながら答える。
開けたままの窓から入る風がバタバタと花束のフィルムを乱暴に撫でて行く。
僕は一人暮らしの場所を七福町に決めた。新しい一歩は踏み出すにはこの町しかないと思ったのだ。そう報告すると、母はなんだか上機嫌のようだった。
町は今日も、いくつもの思い出を抱え、新たな一日を作り始める。