9月期優秀作品
『光の町へ』香澄ユミ
人というものは非常に簡単に、そしてあっさりと死ぬようだ。
昨夜まで、さも当たり前かのように呼吸し、動いていたはずなのに、いま僕の横によこたわっているのは、ただの空っぽの入れ物なのだ。もう僕のことを見ようともしないし、話しかけようともしてこない。
祖父が死んだ。母方の祖父のことだ。病院からの連絡を受けたのは朝方だった。祖父は半年前から近所の総合病院で入院生活を続けていた。
まだ明けきらない、薄灰色の景色の中、母の運転する車で病院に向かった。車には僕と母と妹の3人が乗っていたが、誰1人として声を発さない。ハンドルを握る母の手がただただ震えていたのを覚えている。
病室に着くと、ベッド脇のソファに祖母が座っていた。元々小柄な祖母は、いつもよりさらに小さくなった身体で横たわる祖父を見つめていた。母がベッドにかけよると僕たちに気付き、僕の目をじっと見つめた。そろそろ目が乾いて来たなと思った時、祖母はやっと言葉を発した。「まだ暖かいんよ」と。
そこから祖父の葬儀はしめやかに執り行われた。髪を振り乱し葬儀屋と話を詰めて行く母、それを手伝う父の姿をなんとなく見ながら、葬式って大変なんだなと冷静に感じた。僕は母からお茶出し係に任命され、文句を言いつつも妹と2人で参列者の見知らぬ男女に会釈をし続けた。
「お気の毒に」「かわいいお孫さんだこと」等と声をかけてくる人たちを良きタイミングで交わしてお茶を汲みに行く。と、祭壇が見えた。紫色と白色の花に囲まれ、ぼんやりとした間接照明の下で見る遺影の祖父は、生き生きとしていた。肌の色も良く、うっすらと微笑んでいて、死ぬ間際の祖父とは異なり、生命力に溢れていた
祖父の昔の友人だろうか。式に参加していた黒い山高帽を被った白髪の老人は
「遺影を見て、当時を思い出しましたよ」
と、何やら熱心に祖母に話しかけていた。
「あっという間でした」
どこかぼんやりとした視線を部屋の隅に送りながら、祖母は答えた。
寺のご住職が来て、お経を上げる間、隣に座る妹はずっと泣いていた。そんな妹を横目で見ながら、僕は非常に居心地が悪かった。なぜなら、僕の目からは全く涙が出なかったからだ。一粒も出ないことに僕自身が一番驚いたのではないだろうか。悲しい気持ちが全くないと言ったら、そういう訳でもないのだけれど、僕は祖父の死をなりふり構わず悲しめる程、祖父のことが好きではなかったのだろう。というよりも、好きではなくなっていたんだと思う。
祖父は日下部光次郎という小説家だった。といっても、売れっ子作家と言える程、名が売れた人物ではなかったと思う。徳川警部補シリーズという推理もので一発当てたことがあって、コアなファンが幾人かいるような、そこそこと言った小説家だった。僕は一度も読んだ事はない。そんな可愛げのない僕は、祖父から一字もらって光太郎と名付けられた。幼い頃は「おじいちゃんにそっくりね」と言われることも結構あった気がするが、自分的には何処が似ているんだか今ひとつ分からない。