あれから三十年以上経った。
いまでは、私が父の髪を切っている。
父は定年退職し、ほとんどの時間を自宅で過ごしている。新聞に掲載されているクロスワードや、数字のパズルを解くのに夢中で、まるで小学生の子どものようだ。
「ヒロちゃん、そろそろ、お願いできる?」
父は頭に手をやりながら、週末になると聞いてくる。すっかり寂しくなっている父の頭髪は、ほとんど切るような箇所はない。「サザエさん」に出てくる波平さんにそっくりの髪型なのだ。だけど、襟足の部分が伸びてくると、首がこそばゆい、だとか、耳に髪の毛がかかるとだらしなく見える、といって、二ヶ月に一度ほどの割合で髪を切っている。
父と私の儀式は、立場は逆転したけれど、また繰り返しおこなわれている。
この神聖な儀式が、これから先も続きますように。できるかぎり長く、続けられますように。
そう願いを込めながら、私は父の髪をていねいに切り落としていくのだった。