「ああ。そっちも元気そうだな……」
河村は、一足先に中年に足を踏み入れてしまった友人の容貌には触れずに、無難なあいさつを返した。レジから出てきた紀村は、腹を揺らしながら近寄ってくると、リクにもヘラヘラ顔を向けた。
「こんにちは、坊や。野球やりたいんだって? なら、そこのバットがいいぞ」
いいながら、壁際に並んだバットのなかから、ルイスビルスラッガーというブランド物の木製バットを指さした。三万円という値段がついている。リクが欲しいといい出す前に、河村が口を挟んだ。
「……そんな大リーガーが使うような高級バットはいらない。初心者用の安いやつでいいんだ。どうせ何年続けるかわからないんだから」
「プロになるまで続けるよ」
とリクが抗議するようにいった。
「プロになるまで? じゃ、プロになったらやめるのか?」
「プロになって、引退するまで続ける!」
揚げ足をとる河村にリクがむきになっていうと、坊主頭の少年らが、くすくすと笑った。そのうちのひとりが、「がんばれよー!」と囃す。紀村はその少年をキッとにらみつけると、
「おまえらもがんばるんだよ。買わねえなら、さっさと帰って練習しろ」
と怒鳴った。その声には、気安い調子があった。顔なじみなのだろう。少年らは素直に頭を下げると、何も買わずに出ていった。汗と香水の混じったような残り香が、河村の鼻孔をついた。
「時代は変わったな……」
と思わずつぶやいていた。
「ああん?」
紀村がまゆをひそめたのを見て、河村はあわてて言葉を次いだ。
「あ、いや……おれらの頃は、香水なんかつけてたら、夜が明けるまで走らされたよな、って」
「あったなぁ。でも、いまそんなことしたら、体罰だ、って大問題だ」
「ややこしい時代になったもんだよな」
「ちがいない」
話が遠い昔に飛んだところで、ふと思いついたように紀村が話題を変えた。
「そういや、こないだ、燻製が来たぜ」
「燻製? でもあいつ、クビになったんだろ」
河村は息の合った二遊間の守備のように、紀村に調子を合わせた。紀村は腕を組んでさらに続ける。
「だからさ、第二の人生ってやつだろ。営業だよ、野球用品の」
「へえ。プロをやめても野球なのか。あいつらしいな」
そこで、それまで黙ってルイスビルスラッガーを眺めていたリクが振り向いた。
「ねえ、パパ。クンセーって誰?」