8月期優秀作品
『チーム・プレイ』中杉誠志
「パパ、僕、野球やりたい」
小学生の息子がそういい出したとき、河村は思わず胸のうちで、ツーアウト満塁の場面で相手バッターを空振り三振に切って取ったピッチャーのようなガッツポーズをしてみせた。自分が野球に関係のない人生を送り始めたときから、このときを待っていた。
妻も、先に生まれた長女も野球にまったく興味がなく、河村が高校時代に所属していた野球部が甲子園大会に出場したという事実を語ったところで、「それってすごいの?」「一回戦で負けてんじゃんアハハ」などとさんざんな感想を聞かされるだけだった。そのため、息子のリクが生まれても、自分、野球なんか知りません……というような顔をして、多くの野球経験者の父親が抱く「息子とキャッチボールしたい」というささいな夢すら、片鱗も見せたことはなかった。
が、リクが十才になった去年、たまたま四半世紀ぶりに地元のプロ野球チームがリーグ優勝を果たした。ローカルテレビ各局は、チームの首脳陣から選手からスタッフまでももてはやし、街はチームカラー一色に染まり、周りを田んぼに囲まれた田舎のスーパーにまで球団公認グッズが溢れるというカルト宗教じみた盛り上がりを見せている。そんななかで、無垢な子供が、
「僕、プロ野球選手になりたい」
といい出したのは、むしろ自然な流れであった。
とはいえ、リクはそれまで運動らしい運動をしたことがなく、むしろ図書館に通って子供向けの科学書や哲学書を読みふける知的な子供だったため、河村は少しばかり意外に思った。文化系一辺倒であった子供を体育会系に染めてしまう地元の雰囲気を、恐ろしくすら思った。
ともあれ、さっそく河村は高校時代の同級生、紀村に連絡をとった。野球部のチームメイトでもあった紀村は、いまスポーツ用品店の店長をやっている。
そしてある休日、河村は息子を紀村の店に連れて行った。
紀村の店は、都市部からやや離れた場所にある。幹線道路沿いに建つ賃貸マンションの一階部分に、テナントとして入っているだけの、小規模な店である。が、近くに大学や高校が点在しているせいか、それなりに客足はあるようだった。河村親子が店に入ったときにも、坊主頭でよく日に焼けた少年ら数人が、バットやグラブ、ボールやサポーターなどを物色していた。スポーツ用品店という看板を掲げておきながら、店内は七割がた野球用品で占められていた。
「ごめんくださーい」
リクが入口から声をかけると、店の奥にあるレジのなかで眠そうな顔をしていた男が、はっと顔をあげた。男はリクよりはその後ろから店に入った河村を見る。河村も男を見返した。男はヘラヘラ顔になって、手刀の形にした右手を持ち上げた。
「よう、いらっしゃい。久しぶり。元気だったか?」
何年ぶりかに会う同級生は、三十半ばだというのに腹の肉がだらしなく垂れ下がり、頭髪にいたってはプロ野球の下位チーム同士の試合中のアルプススタンドのように閑散としていた。とてもではないが、昔は二枚目で名を馳せ、大学では野球部ではなく演劇サークルに入って黄色い歓声を我が物にしていた男とは思われない。