どうにも、腑に落ちない。
地獄への恐怖をちらつかせながら、大事な決断を促すだなんて。選択の余地がないなら、強制的に剥奪された方がまだいい。ここまで勝手に連れてきて、今更、重たいからこれ以上昇って行くのが難しいかもしれないと言い出すとは。何でもありなら黙って連れて行ってくれれば良いではないか。私は、神様のやり口が少々気に入らなく思えてきた。よっぽど、憮然とした表情をしていたのだろう。神様が、遠慮がちに、「いかがいたしましょう」とまた聞いた。
私は、右手に掴む「青森カーマ」の文字をまじまじと眺めた。
「業」を背負わされたようなこのふざけた名前には、その実、物心ついたころからうんざりしていた。厄介な名前だと思うことはあっても、大切に思えるようなことは、あまりなかった(なにしろ、この名の由来は「Karma」である)。だけれど、そのうち、夫が「カーマさん」と呼びかけてくれるその音を、私はとても好きになった。夫に出会って、私は私の名前を初めて愛しいと思え、そして、自分自身を少しだけ慈しめるようになった。夫はいつも私の名前を、きちんと、丁寧に呼んでくれた。
「カーマさん」
「タケルさん」
夫は青森タケルといい、娘は青森アイといった。娘には、こんなご時世だからこそ、愛に包まれて生きてほしいと願いを込め、「アイ」と名付けた。「カルマの子供が、アイだなんて」、と、タケルさんは愉快そうによく笑った。馴染めば、他に代わる名前はなかったし私たちの他愛ない呼び合いは、やわらかな報いが満ちているようでとてもとても心地が良かった。肉体が滅び、浮遊するしかない現在、実体として己を確認出来るものが、この名の他に何もない。毎朝、起き抜けに、自分の顔を鏡に映していた頃と同じように、折に触れ「青森カーマ」を反芻しながら私はここに揺蕩っていた。
「青森カーマです」
とうに亡くなった両親や祖父母、恩師や隣家で飼われていた猫のハナ、仲良しだった友達のシマコに、死後の世界でまた会えるものだと考えていた。若い頃から、死ぬのがそんなに怖くなかったのは、先に逝った大事な人たちが向こうで待っていてくれるような気がし、再会の楽しみを抱えていたせいだ。だから、こちらの世界も悪くはないと思えていたし、「青森カーマ」として、どうやって過ごしてきたかをどんな風に伝えようかなどと、何から話すか一生懸命考えて、張り切って天国に向かうつもりでいた。
「お久しぶりです。カーマです」
「やあ、久しぶり。大きくなったね」
「お久しぶりです。カーマです」
「わあ、いらっしゃい。待っていたよ」