声を大にして言いたい。この神様は不条理であると。
神様は、なぜか自身の非力を理由に、死んだ人間を脅迫する。落とすかもしれないとは、どういうことだ。今ここで手を離したら、まっさかさまに落ちるだろう。落ちれば、地面に飲まれてしまう。地面には、あの無数の手。
私は、肩からカバンを外す。
一切の逡巡もなく、あっさりと捨て去ることを決意し、するすると肩紐を抜いて右手に持ち直し、威勢よく放り投げた。
地獄に突き落とされてしまうことへの恐れもあった。
が、何より、家族のことが一番だった。綺麗事でも何でもなく、神様の言うように、このお金が、夫と娘の役に立てばいいと、心底思った。何しろ、私の不注意で、夫は妻を亡くし、娘は母親を亡くす羽目になった。私の居ない世界で、せめて残したお金が、わずかにでもふたりの幸せに繋がってくれるのならばそれがいい。天国でお金が必要になったら、私はまた汗をかいて働けばいい。そう思って、カバンを放った。すると、右肩はうんと軽くなり、上昇するスピードがわずかながら加速したように感じた。
私は「どうだ」と言わんばかりの晴れがましさで、神様を見た。
「まだ重いですね」
神様は、曖昧に微笑んだ。
悔しいが、そんなことだろうと思った。カバンを捨てた先ほどから、神様がわざとらしく咳払いをしているのだ。
「青森カーマさん、その右手に握っているものも、お捨てになりませんか」
今、捨てたばかりなのにと、見ると、私の右手には「青森カーマ」の文字が握られていた。
3
「そろそろ捨ててしまいませんか」
神様は微笑みながらそう言った。先ほどより、たっぷりと左腕を震わせ、眉を寄せ、そしてさも限界であると示しながら。
「お名前は、お金と同じように、上の世界でもそのままお使いいただくことも出来ます。しかしながら、あなたの居た地上において、あなたという人、青森カーマという人間は、たった一人しか存在することができません。青森カーマ、その名前こそが、あなた自身であるのです。ご存知ですか。名前は現世に一つしか存在し得ないものなのです。つまり、あなたが今回、名前を持っていくということは、地上における青森カーマが消滅することを意味します。青森カーマのお名前が、地上から失われる……それによって、あなたのご家族は、あなた、つまり、青森カーマとの関係性を失くしてしまうことになります。関係性がなくなれば、恐らく、離散してしまうことでしょう。人間の繋がりは、おしなべて何かしらの関係性に拠るものでありますが、それは、案外、儚くもろいものなのです。いかがしましょうか。あなたが名前を無くしても、わたくしが新しい名前をつけてさしあげることも可能ですし、どうしても青森カーマが良いと言うならそのままでも構いません。繰り返しになりますが、あなたが長く背負ってきた名前は、お金と同じく、上の世界でも使えます。ただ、とても重い。頑張って持っていくにしても、私の腕が……」