7月期優秀作品
『リンゴアメ』中川マルカ
また、食べ損ねてしまった。
1
およそ、若すぎるといわれる年齢で、私は死んだ。
一生懸命生きてきた。仕事にも家族にも全力で尽くした。夫と娘を全力で愛して、強く、守ってきたと思う。だけど、私は、死んでしまった。今となっては何を悔いても取り返せない。残念だけれど、致し方ない。
寝不足と疲労とに蝕まれていた。校了明けの、横断歩道。確か、雨の上がった金曜日の夕暮れで。明日は休み、と、いささか浮かれた心を抱えていたように思う。長く時間を取られていた案件が手を離れたことに肩の荷が下り、早く家に帰りたくて仕方なく、しかし、このまま帰るのも、なんだか少しもったいない気がして。寄り道をして帰りたいような晴れ晴れとした帰り道。ただ気持とは裏腹に、肉体は借り物のように重かった。どこか別の場所で人質に取られてしまったみたいに、自分のものではないような違和感が肉に付きまとう。お気に入りのパンプスでさえこうして引きずるようにして歩く。信号に止まりふと顔を上げると、毎日通る神社の前の大通りに、露店が立ち並んでいるのに気が付いた。
「ああ、酉の市」。
赤の光が連なって、夜の手前の蒼黒い時間が美しく際立つ。
開運招福。
商売繁盛。
小気味よい手拍子と呼び込みの声が辺りの空気をにぎやかに震わす。参道は長く、境内にまでは辿り着ける気がしなかったが、せっかくの祭りの日である。手前に居並ぶ露店をひやかしながら駅へ向かうことにした。ソースの焦げたにおいがして、砂糖菓子の焼き上がる甘くあたたかい香りが辺りを包んだ。
「いかがですか、リンゴアメ、いかがですか」
赤色に呼ばれ、立ち止まる。ぽぴんと音が跳ねそうな艶やかな様は、まるでビイドロだ。
「これと、これ」
「あい」
あんまりきれいだったから、二本。一本は、娘へのお土産に。土産分はカバンに仕舞い、二本目をそのまま握って歩き出す。外袋を取ると、その肌は一層輝きを増した。眠ったままの白雪姫から取り出したばかりの心臓のように、つややかで艶めかしく夢のような姿で私を誘う。うっとりと唇をつけ、先ほど渡った横断歩道をスキップで駆け戻った。
― どうしてリンゴアメなんか。
およそ持ち得る注意力の全てを会社に残してきたらしい私は、向ってきた自動車に、あっさり高く跳ね飛ばされた。後方に居た人々の叫び声と、女の悲鳴に似たクラクションとが、耳に鋭く刺さる。そのどちらともに顔を向け、自分の置かれた状況を確認しようと思ったが、どうやら、少し遅かった。冷たくしなやかなバンパーにバウンドし、スカートが捲れ上がるのを気にする間もなく、振り乱した髪に視界は遮られ、タイヤがアスファルトにこすり付けられる音をびりびりと肌で感じながら、観念するしかなかった。三回転の華麗なジャンプに伸身ひねりを出鱈目に加えて、ウルトラC級の必殺技を繰り出す……つもりでいたが、素人の無謀な挑戦は、脳天から骨を砕くという結果にしかならなかった。握り締めていたリンゴアメは、歯形を残したまま派手に転がり砕けて散って、四回転目に差し掛かる前には、私の肉体も地面に叩きつけられていた。