泥だらけの蒔名を風呂場に追い立てた私は、そのまま服と下着を脱ぎ捨てると浴室のドアを開けた。バスタブの蒔名がほんの少し目を丸くする。少しは男らしい骨格になっているかと思ったが、棒のような手足の華奢な体躯は赤ん坊の頃とさして変わらないように思えた。私は入浴剤のタブレットを湯に放り投げ尋ねる。
「あれよあれ、あんたのキック」
浴槽の蒔名が体を強張らせたような気がした、というのは考えすぎだろうか。自然と詰問口調になっていたかもしれない。息子の対面に腰を下ろした私は、努めてゆっくりと言葉を重ねた。
「3年生になってずっと、左利きの練習してたんでしょ。見てたんだよ、あんたのフリーキック」
蒔名の左足インサイドから放たれたシュートはポストに弾かれ、7-1のまま試合は終わった。入浴剤が溶け出す泡の音のなか、私は口を閉じて待った。蒔名が観念したように小さく頷く。
「秘密の特訓、してた」
「へーえ、秘密の特訓ね。なかなかうまかったよ。外れちゃったけど」
「父さんが言ってた。練習すれば左足だって自由に使えるようになるって」
だからって字書くのまで左でやらなくたっていいじゃない――と呆れる私に、蒔名が首を大きく横に振る。
「だって母さんも、レフティーだから。僕もその、そしつ、を持ってるんだって」
素質、が難しかったのかその3文字は疑問形だった。しかし彼は私の目を見てはっきりと言い切った。
「素質ねえ……」
レフティー。最近は左利きのことをそういうのか。同時に、夫の計画が水面下で進行していたことを知り苦笑する。メッシ、ロッベン、ダビド・シルバ。思い返せば彼の贔屓プレーヤーは皆左利きだった。
「あんたね、レフティーはつらいんだよ。生半可な覚悟で変なクセつけたら大変だよ」
「そうなの」
「そうよ。だってさ」
言いかけた私は口をつぐんだ。カウンター席で隣と肘がぶつかること。カッターがうまく扱えないこと。そんなことは、あの美しい弾道の前では些細なことに思えたのだ。
忠告の代わりに、私は息子の頭を抱き寄せた。されるがままの蒔名のつむじに、私の鼻先と上唇が当たる。そのまま思い切り息を吸い込むと入浴剤の香りが鼻腔に満ちた。海の匂いはしなかった。
「てか海ってどんな匂いだっけ」
「うみ?」
独りごちた私に、蒔名がぱっと顔を上げた。
「そうだ。明日海行こうか、海」
思えば家族で海に行ったことなんてもう数年記憶にない。体を離して素敵な思いつきを口にすると、息子の目が大きく見開かれた。
「ほんと?」
「おー海行くの? いいな、砂浜トレーニングができるもんな」