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『ペトリコール』結城紫雄


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7月期優秀作品

『ペトリコール』結城紫雄

 
 ペア、というのは良いものだ。女と女、男と男、そして女と男――いずれにせよ調和が取れている。オール・オア・ナッシング、あるいはフィフティフィフティ。
 しかしこれがトリオになると破綻する。同性3人だと多すぎるし、2対1ではアンバランスだ。小ぢんまりした2LDKに、男がふたりと女が私だけ。人口の7割弱が男性だなんて不均衡にもほどがある。23時、私はノートを見ながら悪態をついた。
「いったいなんなのよこれ……」
 息子のノートには一面、ミミズがのたくったような字が並んでいた。いくらめくっても同じだ。唯一読めるのは、担任教師による「もう少しきれいにかいてみよう。がんばろう!」という連日の赤ペンだけ。3ヵ月分さかのぼってみたが、ご丁寧にすべてのページが解読不能の記号で埋め尽くされていた。夫はソファでサッカー中継を眺めている。メッシのドリブルが左サイドを切り裂く。
 めくるページがなくなった私は仕方なく表紙を見やる。昆虫のグラビア、「れんらくちょう・3年1組・かわむら まきな」の字。これも確かに息子の筆跡だ。こちらは読める。ちゃんとしている。なんなんだ、わけがわからない。
「ねえってば!」
「わっびっくりした」声を荒らげた私に、夫が小柄な体を震わせ振り返る。右手の缶から発泡酒がこぼれた。
「なんだよー」
「これなに? あの子3年生になっていきなり字が書けなくなっちゃったの? そんなわけないよね、なにこれ? なに?」
「俺も知らないよ。どうしたんだろうねアイツ」
「でもあなた気づいてはいたんでしょ」
 連絡帳を掲げる私に、夫はまあ、とかいちおう、とか弁解しつつさらに小さくなってテレビに向き直る。その芝居じみた仕草が神経を逆撫でするのだ、と十数年共に過ごしてどうして気づかないのだろう。どうせ欧州リーグの録画中継なのだから必死で画面にかじりつく必要などないくせに。背中を睨んでいたら、夫はそっと足を伸ばし、フローリングにこぼれた酒を靴下で拭こうと試みていた。バレてないとでも思っているのだろうか。バカだ。男はマジでバカだ。
 蒔名を生んで9年になるが、私には息子のことがよくわからない。いや、ここ最近急速にわからなくなっている。日々わからないことが増えていく。手元にあった台拭きを投げつけた私は、暗号だらけの連絡帳を机の端に押しやった。

 激しい雨音で目を覚ますと蒔名は登校した後だった。この天気ではきっと地下鉄が激混みだ、とげんなりする私の気も知らず、隣では夫が寝息を立てている。昨夜寝床に入るタイミングを失い朝方までテレビを見ていたのだろう。こういうときはつくづくフリーランスである彼が羨ましい。私はシャワーを浴びメイクを済ますと、机の書類を引っつかんで家を出る。
 予想以上に混み合った車内で、iPhoneを取り出すこともままならい私はドアに密着したまま直立不動。真っ暗なまま変わらない車窓を見ていると、闇の奥にゆうべの連絡帳が浮かんでは消えた。
 わからないということは、恐怖だ。赤ん坊はなぜ泣くのか。どうしてミルクを吐いてしまうのか。夫と息子が同時に熱を出したときはどうすればよいのか。9年前のめくるめく恐怖の波を私はどうやって乗り越えたんだっけ? 久しぶりに直面したその感覚は間をおかず怒りへと変換される。なんなのだ、あの連絡帳は。

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