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『ペトリコール』結城紫雄


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 怒鳴りながら私は素早く算段を整える。撮りなおす時間などあるはずない。自転車は静止していることにするか? 言い訳としては苦しすぎる。デザイナーに頼んでイヤフォンを消してもらうのが手っ取り早いが、編集者としてのモラルが許さなかった。
「カメラマン、今月三木谷さんよね。彼に頼んでほかのを手配してもらうしかないわ。実データでいいから即行もらって事務所に確認回しなさい。平行してアッキーにレタッチ頼んどいて。キャプション周りはこっちでなんとかするから、あなたはまず印刷所に電話!」
 静まり返ったオフィスには雨音と、みーちゃんのしゃくりあげる声だけが響く。大きく溜息を吐いた私はようやくデスクに腰を下ろした。

 息子を保育園に預けたのは1歳のときだ。私も夫も幼稚園に通ったのは4歳から6歳の3年間だけだったので、蒔名が6年間も保育園の世話になることには茫漠とした罪悪感しかなかった。しかし後ろめたさなど日々の激務の前では霞んでしまうもので、共働きの私たち夫婦ではこうするより仕方なかったのだ。背に腹は代えられないとはこのことである。私はキーボードを叩きつつ、夫に残業になりそうな旨をLINEする。
『おっけー。校了前だもんね、頑張って。朝は蒔名と昨日の残り食べました』
 夫の即レスを確認し、私は手を止めて大きく伸びをした。今日も蒔名は夫と風呂に入り夕飯を食べ、サッカー中継でも見てから眠りにつくのだろう。今はちょうど欧州選手権の最中だ。息子は夫に似て、おっとりしているくせにサッカーが好きだった。
 乳児期の子育てにおいて、天性ののんびり屋である夫はまるで役に立たなかった。蒔名がどれだけ夜泣きしても起きない。粉ミルクを冷水で溶かす。ベビーカーのストッパー機能に気づかず、タイヤをロックしたまま保育園まで往復したこともあった。
「愛さんできましたー」
「はいはい」
 右隣のみーちゃんから差し出された修正ゲラを半身捻って受け取る。
 育児に関して夫が自発的にとった行動といえば、息子を左利きにしようとしたことぐらいだ――ボクシングであれ野球であれ、アスリートはサウスポーが有利らしい――が、私が一喝してやめさせた。改札、ハサミ、朝急いでシャツを着るとき、PCのマウス。サウスポーは現代社会で生きづらいのだ。なぜわかるのかというと、私自身が左利きだからである。
『夜ごはん冷蔵庫入れとくからよかったら食べて』
 スマホが再び震えた。業界の人間は理解がスムーズで助かる。9年前はまるで役に立たず余計なことしかしなかった夫だが、今の暮らしは彼なしには成り立たない。息子の小学校入学を機に独立しフリーのデザイナーとなった夫は、我が家の家事全般を担当している。
「あれあれ? 旦那さんですか?」
 興味津々のみーちゃんがiPhoneを覗き込んできた。まだ目を腫らしているくせに、若い子の切り替えの速さには呆れを通り越して感心する。
「そんなことより、夜の打ち合わせ大丈夫でしょうね」
「任せてくださいよー!」
「任せられないから言ってるの。天気悪いから早めに出るよ、確か待ち合わせ場所は……」
 私は効いていないだろう嫌味を言いつつ、バッグから手帳を引っ張り出す。
「ちょっと愛さん、なんですかそれ!」
 彼女が素っ頓狂な声を上げたのはそのときだった。怪訝に思って移した視線の先、左手にはモンシロチョウのグラビア――蒔名の連絡帳だ。今朝間違えてバッグに入れてきてしまったらしい。はっとした一瞬、みーちゃんがノートをひょいと取り上げた。
「わあ、ジャポニカだ! 久しぶりに見ましたよ。小学生以来ですよう」
 チョウってアップで見ると気持ち悪いですね、とはしゃぎながらノートをめくり始めたみーちゃん。が、すぐにその手が止まる。
「愛さん、ヤバくないですか。やだなにこれ……呪いのノート?」

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