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『遠くの夏まで』菊武加庫


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 それにしても、一人暮らしの健気さは十分差引いても、腹が立つほど例の予知能力は健在で、いやむしろ進化している。
 康之が大阪に行って初めての冬、九州は四十年ぶりの大雪にみまわれた。
大粒の雪が降り止まず、あっという間に、辺り一面五十センチもの積雪に覆われた。交通機関は全てマヒし、凍結した水道管破裂により、断水が相次いだ。小、中学校は水が出ないという理由で休みになった。雪国ならば、当然予想する程度の積雪量なのだろうが、九州の人間にとってはハード面、ソフト面、どちらも対応不可能だった。年明けてからは毎週のように帰って来ていた康之だが、その週末に限って、仕事で東京に向かっており、帰って来たときには、あれほど積もっていた雪は跡形もなく溶けて消えていた。
「ここらへん全部真っ白で、バスが三日も通らなかったのよ。学校も仕事もみんな休みで、すごいストレスだったんだから」
「大変だったね。無事でよかったよ」
 力説すればするほど通じた気がしない。
 大きな地震があったときも不在だった。娘二人と這ってテーブルの下に潜り込み、揺れがおさまるのを待った。一週間以上余震が続いたが、康之が帰宅したのは二週間後だった。
「大変だったね。怖かっただろう」
 心から心配してくれている。優しいのだ。しかしいくら言葉を尽くしても、もどかしいほど伝わらないのは仕方がない。真っ白い雪に囲まれることがどれほど不安か、地震の揺れがおさまらないことがどれほど恐ろしかったか。
 しかも帰ってきたときに限って兵庫が揺れたり、大阪で大雨が降る。
「昨日ここに出張だったんだよ!」
ニュースの画面を指さして、自分がぎりぎり免れたことに驚いている。
「なんだか鯰みたいよね。予知して逃げ回っているというか」
 康之は憮然として妻を一瞬睨んだが、話題を変えたかったのだろう。黙ったままテレビに顔を向き直した。
 康之の仕事は営業で、転勤してからは出張が大幅に増えた。支社の数の割に担当のエリアが広いのだ。地震、大雨、大雪などの災害、それに列車の事故、その全てをよけながら、福岡、大阪、神戸、広島、東京、名古屋と広範囲に渡り日々巧妙に移動していることになる。ここ一年数か月の間、主に西日本で起こった災害は、夫の人生にはひとつも起こらなかった。彼の人生においてはなかったことになっている。
「家族からは災害予知の鯰のようだと言われています」と朝礼の一分間スピーチで話し、大いにうけたらしい。
「部長と一緒にいれば安全ですね。心強いです」
 若い社員に言われてちょっと得意になっているようにさえ見えた。軽いパンチじゃ足りない。

 単身赴任してから二度目の夏が来た。速いような遅いような一年と四か月だった。梅雨明けをして急激に暑くなり、猛暑日が続いている。一週間も続いた大雨がすっかり上がった後、康之が帰ってきた。あのまぬけな電話のやりとりを思い出すと腹が立つような、吹き出すような気持ちになる。
「今テレビで将棋の名人の特集をやってる。すごいよ、天才なんだね」
「今こっち、すごい雨。避難準備してるから切っていい?」
「え!ごめん。気をつけて」
 その大雨に浸かってしまいそうだった庭がうそのように乾いている。
「水撒き、お願いね」
 小さな庭だが夏は朝夕の水撒きが、結構骨の折れる仕事だ。こうして夫が連休を取って帰るとやはり敦子はほっとする。
 玄関先から家回りをぐるりと水を撒くには結構な時間がかかり、二十メートル近いホースをうまい具合に運びながら移動しなければならない。水が入っているのでかなりの重量だ。面倒だと思う時もあるが、少しずつ花を咲かせるのが敦子の楽しみなのだ。今の時期は百日草、朝顔、松葉菊、コバノランタナ、百日紅、葵、グラジオラス、などが夏らしい濃い緑の葉と鮮やかな色の花を見せている。
 ホースの先を桜の木に向けた康之の背中を見ながら、敦子はデッキの洗濯物を取り込んだ。西日に水しぶきがはじけて小さい虹を作ったと思うと何匹もの油蝉が驚いて飛び去った。撒き終るとやっと涼しさに移行する、この時間が敦子はとても好きだ。水をいっぱい含んだ土は急に穏やかさを取り戻し、花々は夜、ゆっくり光合成をして休息するのだろう。再び康之を見る。なんだかいつもより元気がないように見える。気のせいか……ふと湧いた心配を押しやる。

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