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『遠くの夏まで』菊武加庫


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 単身赴任、たんしんふにん、タンシンフニン、――。頭の中でどの文字に置き換えてもピンとこなかった。
 康之の会社は一応全国展開の食品会社だが、なんとなく転勤は営業のエリア内で近場をグルグルというイメージがあり、単身赴任など考えてみたこともなかった。このままあと何回かエリア内を異動して、定年退職を迎えられるものだと根拠もなく信じていた。
「来月一日からなんだ……聞いてる?」

 康之の単身赴任生活は翌月頭から無事(?)スタートした。彼にとっては帰宅したとき誰もいない、そんな生活は初めてだ。大学は自宅から通い、就職してからも自宅からの通勤が可能で、その後二十六歳で結婚したからいつも同居人がいた。憧れの一人暮らしじゃないのと家族は明るく見送った。
 社宅がない代わりに、賄付きの単身者用マンションを会社が用意してくれた。家具は電化製品からベッドまで揃っているので、用意するものは布団くらいだった。朝、夕は、申し込めばバランスの良い食事を用意してもらえる。
 管理人さんがいるなら、「おかえり」の声くらいはかけてくれるのではないだろうか。色んな職種の人とダイニングで顔を合わすのだろうから、友だちとまではいえなくても、なんとなく挨拶くらいはするのかもしれない。そうであればいい。何より関西の職場には馴染めるだろうか。やはりきりなく心配する。

 あれこれ母親のように心配したが、康之は何とか新しい職場に受け入れられたようだ。あくまで本人の報告によるものだが、顔色は悪くはないので額面通り受け取ることにする。警戒されずにいつの間にか溶け込むというのも特技のひとつなのだとしみじみ思う。
 それでも家が恋しいと見えて、ひと月に最低二、三回は帰って来るのだ。そして帰る前には必ず電話をして、食べたいものをリクエストする。
「今度は何にしようかな……そうだ、ちらし寿司と唐揚げが食べたい」
「絶対カレーが食べたい」
(お誕生会か!)と言いたい気持ちを抑えて作るのだが、おいしそうにたいらげる姿を見ると、やはり落ち着く。
「結構バランス良く出されるんだけど、やっぱり家のがおいしいよ。カレーとみそ汁は特に違うんだよな」
 心配なような嬉しいようなことを言う。
「マンションの人達とは親しくなったりするの?」
「いや、声をかけ合うことはないよ。ちょっと頭を下げるくらい」
「同じ部屋で食事するんでしょう。大浴場もあるんでしょう。顔見知りにはならない?」
「みんな黙って食べて、お風呂も黙って出て行くよ」
 やっぱり学生寮みたいなわけにはいかないのだなと敦子は思った。三十年ほど前、敦子は女子大のすみれ寮という学生寮に入った。入寮式の日にはさっそくどこから来たのか、どこの学部か、彼氏はいるのかなどと盛上り、持って来た地元のお菓子を分け合い、次の日曜日にはみんなで遊びに行く計画まで立てた。女子学生は容易に扉を開け合った。
 いや、今だっておばさん同士なら毎日ダイニングで顔を合わせて、お風呂でも時折会っておきながら、何か月も話をしないなんてありえない。自分たち中高年の女はきっかけさえあれば、電車で隣り合わせただけでも話がはずむ。男たちは人づきあいが下手すぎる。だから妻に先立たれたら陸の孤島にいるような暮らしになるのだ。敦子の頭は飛躍する。
 なんだかそんな男たちが何十人も入居しているのを思い浮かべると、急に切なくなってきた。どの人も家族のため、生活のために一人暮らしをしている。自由を謳歌したり、愛人を作ってみたり、そんな器用な人は案外少ないのではないか。第一どの職場でも、好きに遊べるほどお給料は出てはいないはずだ。
『防人』という言葉を思い浮かべ、敦子はため息をついた。

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