「母さん、ありがとう」
幸江が浩一を抱きしめた。
シャンプーの柔らかな匂いがした。
章太郎をもそれに加わり、家族三人が玄関の前で抱き合った。
「浩一、元気でね、お父さんもね」
浩一と章太郎は頷き、抱き合った手を離すと三人で目を合わせた。
「それじゃ帰るね」
浩一と章太郎は名残惜しそうに頷いた。
「送ろうか?」
浩一が提案するも幸江は首を横に振った。
「大丈夫。お父さんが送ってくれるから。浩一は前に進まないと」
「ありがとう」
「お父さん、行こう」
「よし。ちょっと行ってきます」
章太郎が片手を挙げた。
「待った」
浩一が章太郎の手を掴む。
「今度は帰って来るよな?」
頷く章太郎。浩一は掴んだ手を離した。
「じゃあね」
幸江は笑顔で手を振り、章太郎と歩き去って行った。
二人が角を曲がり、姿が見えなくなると大きく息をつく浩一。
たった一日とは言え、あの世から自分のために手を尽くして戻ってきてくれるなんて、すごい母親だなと感慨深かった。
信じられないことも起きるものだと感心しつつ、せっかくだから、もう一度、母の姿を見ようと道に出て、二人が曲がった角から顔を出した。
向こうに歩く二人が確認できた。
章太郎と幸江が仲睦まじく歩いている。
歩きながら章太郎がポケットから新幹線のチケットを取り出すと、幸江はまるで他人のように会釈をして受け取った。
そして、章太郎が立ち止まり深く頭を下げた。
章太郎のそんな姿を見るのは初めてであった。
幸江も立ち止まって、章太郎に頭を上げさすが、それでも章太郎は何度も頭を下げた。
再び歩き出そうとすると思い出したように章太郎は幸江の手を指差した。
あら、うっかりといった表情を浮かべ幸江は薬指の結婚指輪を外し、章太郎に渡した。
二人の姿が遠くに消えて行った。
浩一は全てを納得した。
「ただいま」
ごく自然に章太郎は自宅の玄関を開けた。
そこには浩一が立っていた。
「おかえり。母さん帰った?」
「ああ」
二人は黙った。
浩一は章太郎のサンダルに目を落としている。
章太郎の足の甲には深い皺が広がっていた。
「ありがとう。父さん」
「あ、ああ。こっちこそ」
「大変だったろ。色々と。京都どころか、あの世にまで行ってもらってさ」
章太郎はサンダルを脱いで家に上がり、大きく伸びをした。
「そうでもねえよ。飯にするか。焼きそばにしよう。母さんから作り方教わったんだよ。完璧だぞ」
「材料買いに行って来る。ついでに髪切ってくる」
「よろしく」
浩一は頷いた。
「ほら」
章太郎が財布から札を抜き出して浩一に手渡した。