歯を食いしばって浩一は言葉を出した。
「俺だって、好きでこうなってるわけじゃないよ」
一同を沈黙と静寂が包んだ。
遠くに救急車の音が聞こえた。
「分かってるよ」
幸江が優しく言った。
「分かるかよ」
相変わらず俯いたまま語尾を荒げる浩一。
章太郎は腕を組んだまま黙っている。
「ごめんね。死んでもこんな小言ババアなんて。でもこれが本当に最後。今のままで本当に良いと思ってる?今だから言えるけど、人生短いよ」
浩一が顔を上げ、幸江を見た。
改めて見た幸江は若さに溢れていた。今の浩一とは正反対で、希望しか持ち合わせていないような雰囲気を醸し出しており、それが眩しかった。
「俺に何ができるんだよ」
浩一がそう反論した瞬間、幸江の拳が鼻っ柱に飛んで来た。
鼻の奥がつんとして、左目から涙が勝手に流れてきた。
立ち上がる幸江。
「何、甘えとんねん?男やろ?ちゃんと付いとるんやろ?だったら気張れや。あかんくなっても、帰るところあるんやから、ええやんか。恵まれてるやん。傷つくのビビってんとちゃうぞ。うちだってあんたを傷つけたいわけちゃう!だからこそ言うで。しっかりせえや!」
今度は平手で浩一の頬を張った。
右目からも涙が流れてきた。
呆気にとられる浩一と章太郎。
幸江は興奮が収まらないのか章太郎の頬も勢いよく張った。
「あんたも親父ならちゃんとせえや!」
二十歳そこそこの女性に説教をされる中年と老年の親子の息が初めて合った。
「はい」
それに満足をしたのか幸江は腕を組んで頷いた。
「なら、良し」
章太郎が何かをフォローするように慌てて言う。
「母さん、やっぱり京都にしばらくいたらから関西弁になっちゃったんだよな?」
幸江はハッと口を手で押さえた。
「そうそう。すっかり京都人なんどす」
わざとらしい口ぶりをすると幸江の携帯電話のタイマーらしき音が鳴った。
それ確認する幸江。
「時間だ」
あっという間に別れの時がやって来た。
そもそも手ぶらでやって来たので幸江は何も持っていない。
もはや浩一はこの女性が本物の母であるかはどうでも良くなっていた。ただ明日から、いや、今日から変わろうとする気概が生まれたのは本当だった。
「浩一、体が資本だからね。元気でやってね」
浩一は頷き、幸江が生前にも言えていなかったことを口にした。