いつも左から振り向いていた母さんと同じだと気付き、浩一はどきりとしながらも、尋ねた。
「母さんじゃないですよね?誰なんですか?何なんですか?」
幸江が微笑んだ。
「おやすみ」
再び洗い物を始める幸江。
もう取りつく島もないと諦め、浩一は二階へ向かうと章太郎のイビキが聞こえて来た。
「日常」の一部が戻ったような気がした。
布団に潜り込んで、一体何が起きているのか反芻した。
父が帰って来たのは本当だろう。
一方、母はというとあまりにも現実的でない。
百歩譲ってそんなことがあり得たとしても何故、若くなって帰って来たのだろう。
輪廻転生的なあれだろうか。いや、何バカなことを。
考え込んでいると階下から幸江の笑い声が聞こえて来た。
家事を終え、テレビをつけて一息つく。
これもいつもの幸江の行動と同じであった。
たった数ヶ月前まで当たり前であったことが消え去った。
それが目の前の現実で当たり前のように再生されている。
分からない。
心地良くも奇妙な疑問を繰り返しているうちにいつの間にか眠ってしまった。
翌朝、浩一は物音で目を覚ました。
幸江が物やゴミが散乱した浩一の部屋を片付けている。
「おい!」
手を止めて幸江が浩一を見た。
「おはよう」
再び手を動かし始める。
「おはようじゃなくて、何勝手に入ってんだ、ですか。やめて下さい」
「ごめん、ごめん。でも」
「でもじゃなくて」
浩一の剣幕に負け、幸江は部屋から出て行った。
久しぶりに床が顔を覗かせた。
再びベッドに潜り込むも今度は、階下から包丁がまな板を叩く音が聞こえてきた。
耳に馴染んだ幸江のリズムであった。
寝ることは諦め、起き上がって部屋を出る浩一。
階段を降りていると鼻先を味噌汁の匂いが掠め、鼻腔が大きく広がった。
明らかに母が作る味噌汁と同じものであった。
信じ難く、きっと同じ味噌を使っているのだろうと自分を納得させた。
章太郎は綺麗に片付けられた卓で新聞を広げていた。そして、浩一に気が付いた。
「おう。おはよう」
「ああ。おはよう」
幸江も気が付き、やはり左から振り向いた。
「ご飯できるから」
頷き浩一は洗面所で顔を洗ったが、頭はどうもスッキリしなかった。
卓には幸江が作った朝食が並んでいた。