少し前までは、こうしてカメラを構えるのも楽だったが、今の夢桜は自分で歩けるようになったのが嬉しくて、ふらつきながらも、ちょこちょこと動くので、それに合わせて私が後ろに下がったり、焦点距離を調整したりで、狙ったとおりに撮るのがだんだん難しくなってきていた。
――夢桜の成長に合わせて、私自身のカメラの技術も成長しないとなー
そんなことを考えながら納得のいく構図を探っていた時、ファインダーの中でささやかな奇跡が起こった。
少し強めの春の風が吹き抜け、地面に落ちて散らばっていた桜の花びらが舞い上がった。
それと同時に、伸びた枝の先から、いくつもの花びらがひらりひらりと舞い落ちてくる。
地上から舞い上がる花びらと、頭上から舞い落ちてくる花びらが、ちょうど夢桜の頭のあたりで交差する。
小さなハートの形をした柔らかな花弁が、折り重なるように乱れ舞う。
白よりも微(かす)かに桃色。桃色よりもわずかに白色。そんな淡色(あわいろ)の桜の花びらが上から下へ、左から右へと幾重にも重なり流れていく。
まるで、春の風が桜の花びらを纏って吹き抜けたような、華やかな情景が繰り広げられた。
そんな一瞬に巻き起こった奇跡の中で、こちらに向かって夢桜が微笑んでいる。
本当に僅かな一瞬に起こったことではあったが、私がのぞくファインダーの中では、コマ送りの映像のように、ゆるやかにその瞬間は流れていった。
――あっ、今、私、幸せだ。
シャッターを押すのと同時に、そんな一つの想いが私の中を駆け抜けて、胸の奥から暖かな体温にも似た温度がじわーっと込み上げてきた。
ふと気がつくと、そんな瞬間の余韻に浸っていた私のすぐ前まで、夢桜が近づいてきていた。
片足を踏み出す度に、身体が揺らいで危なっかしい。たぶん本人は余裕綽々でしっかりと歩いているつもりなのだろうけど、その後ろで、パパが両脇の下に手を添えて、触れるか触れないかぐらいの間隔を保ちながら、支えながら付いてきている。
そんな光景がなんとも微笑ましくて、ついつい顔がにやけてしまう。
私の目の前まで辿り着いた、夢桜の頭の上を見てみると、先ほど吹き抜けた風が落としていった小さな桜の花びらが一片乗っかっていた。
親指と人差し指でその花びらをつまんで、夢桜の目の前に出して見せたが、おそらく何のことかはわかっていないのだろう。
その花びらに夢桜が手を差し出してきたので、その手に持たせようと渡したが、うまく持てずにそのまま地面に落としてしまった。一瞬、落ちた花びらに視線を向けたが、特段の興味がなかったのかすぐに顔を上げて私の方に寄りかかってきた。
慌てて、胸の前に下げていたカメラを後ろに回して、倒れかかるように寄りかかってきた夢桜を受け止めた。
夢桜の体温が伝わってくる。ついさっき、私の胸の奥に沸き起こった暖かな温度とよく似ている。
「夢桜って、良い名前だよね」
ふと思いついて、パパに話しかけた。
「どうしたんだ?いきなり」
「うん、なんとなくね。ここの桜の景色見てたらそう思ったの」
「そういえば、ママのところのお父さん、『俺が、良い名前をつけてやる』って、はりきってたよな」
「あぁ、そんなこともあったね。でも、それを押しとどめるの結構大変だったんだから」
「そうなんだ」
「『こいつらに任せてたら、どうせ訳のわからない、読めないような名前付けるに決まってる』とか言ってね。
お母さんが食い止めてくれたのよ。『今の子は、今の子らしい名前付けるんだから。あなたが出しゃばることじゃないのよ』って」
「でも、結局、夢(ミ)桜(オ)ってつけたから、普通にはなかなか読めない名前だろ。お父さんに怒られるかと思ってたんだけど……なんとか大丈夫だったからほっとしたよ」
「大丈夫どころか、最初にこの子の顔見た時から、みおちゃん、みおちゃん、ってベタベタだったでしょ。そういうものなのよ、親って」
「まあ、一人娘が初めて産んだ子供だからな、なんとなくわかるよ、その気持ち」