サラッと口にしているけど、母は多分本気だった。母は私と違って、一人で生きるのが怖いからと、愛の無い結婚に縋るような情けない女じゃない。けど、
「お願いだから、旦那さんに私達のこと、頼んだりしないで。私も柚も大丈夫だから。ちょっと愚痴りたかっただけで、本気で困窮している訳じゃないから」
『でも』
「本当に大丈夫だから」
それ以上の追及を拒否するように、強く言うと、
「今の旦那さんと結婚して、仕事辞めて、やっと楽になれたんじゃん。今までの苦労、取り返すつもりで悠々自適してよ。私、母さんに楽させてあげたいって、ずっと思っていたんだから」
母は精神的には強くても、体力は人並みだ。あくせく働けば、傷むし疲れる。もうすぐ60になる今、また働きに出るのは辛いだろうし、そのままいつまでも働けるわけじゃない。それに、
「私のために自分の幸せ、壊したりしないで」
新しい旦那さんはとても良い人だ。若く綺麗な女性を見初める男性は居ても、年老いた、それも美人とは言えない女性の美点を見出して、愛してくれる人なんて中々いない。その奇跡みたいな幸せを、私のせいで台無しにしたくない。私の本気が伝わったのか、
『…分かったわ』
母は渋々納得すると、それでも、
『でも本当に辛くなったら、ちゃんと言うのよ。あんた達が辛いのに、母さんだけ幸せなんてことはないんだからね』
その会話を最後に、母との電話を切ると、私はふーっと詰めていた息を、長く長く吐き出した。すぐには動く気がしなくて、そのまま俯いていると、
「くしゅん」
柚がくしゃみをしたのに気付き、薄暗い床の間を見ると、
「……ちゃんと布団かけなきゃ、風邪を引いちゃうよ」
蹴飛ばしていた布団をかけ直して、その上から寝かしつけるようにポンポンと叩く。
安らかな寝顔を見下ろしながら、
「……ダメなお母さんだねぇ」