麻子さんから見て先々代にあたるおばあさんが、相当熱心な信仰を仏教にも神道にも捧げていたのだという。ちょっとした祓い屋のようなものも請け負っていて、そのための修行は欠かさなかったようだ。ミニチュアのお寺はその修行のどこかで手に入れたそうだが、麻子さんが生まれるよりも前に先々代が亡くなったため「お大師様」と呼んで花を供えること以外知らないままに終わったと記載されている。
一番浮いて見えるマリア像は、麻子さんが置いたものらしい。ノートの片隅に、少し言い訳っぽく書いてあった。
『こんなに長く日本で続いているなら、キリスト教だって立派な日本の宗教だと思っていいと思う。それに私は、ナイショだけれど、神社や仏閣よりも教会でお祈りする時の方が、ちょっとだけ心が安らかになるから』
「うちはじいちゃんも父さんも宗教に無関心だからなあ」
「弟が無関心過ぎたから、麻子さんも言いにくくてこっそり置いたのかもね。おじいちゃんはこの家に数える程しか来たことないって言ってたし、ここなら誰にもバレずにお祈りできる」
未婚の麻子さんが住んでいた家だからおじいちゃんの実家なのかと思いきや、そうではないらしい。家の歴史に関するページに「私が養女に」という記述があった。
「ここなら特定の教会に通う姿を誰かに見られることもないしなあ。なあ燈子、ところでこのホウレンソウの器、どこからのお土産?」
ところでの滑り先があまりにも唐突だったので、私はちょっと答えに詰まった。
「ええとね、佐賀県だって」
そういうものだけを厳選したようだから当たり前なのだが、麻子さんが残した食器は全て誰かとの思い出がくっついているもので、且つ名産的な焼き物だ。贈り物の類で貰ったとされるものも漏れなく「そう」なので、麻子さんや先代たちの趣味を解った上で相手が選んでいることが伺える。
「佐賀か。遠いな」
小鉢を掲げてちょっと遠い目をするお兄ちゃんに、私は「そりゃあ海を隔てるからね」と軽く返した。
梅雨に入ると、お兄ちゃんの様子がおかしくなった。
眉間に皺を寄せている時間が長くなって、不機嫌であることが増えた。何かを問いかけても返事が一拍遅くて、しかも否が返ってくることが多い。引っ越して来てすぐにプランターで作り始めたトマトの実が膨らんだことにも、気が付いていないようだった。